1ページ目から読む
3/6ページ目

 そして、効率的につゆの味が整う出汁の取り方を見出した。さらに素早い提供、綺麗で清潔感のある店内、陶器の器、ガラス製のコップなど細部にも徹底的にこだわってまるで新しい店を作るような改革を行ったというのだ。すごいパワーと根性の持ち主である。

「閉店宣言」の理由

 そんな6代目笠原さんが、今年3月末に閉店すると宣言するに至った理由はなかなか深い。3つの理由があるようだ。

 まず1つ目は高齢化である。「35歳の時からガムシャラに働いて、味を向上させて、『桜木町に川村屋あり』と言われるようになりました。そして気が付いたら自分も従業員もいい年齢になっていました」としみじみと語る。3月末の閉店前、店頭に貼られた「閉店のお知らせ」には次のように記載されていた。

ADVERTISEMENT

『……ふと気が付きましたら従業員全員そして店主も高齢者になっていました。後継者がみつからない中、今後安定した店舗運営を継続して行くことは困難と判断された為、本年3月末日をもって川村屋そば店を閉店する運びとなりました。……』

  2つ目は、家族に対する思いやりがそう決断させたという側面があるようだ。「川村屋の仕事はとにかく大変でした。ですから自分の子供たちには同じような苦労はさせたくなかったという思いはありました」と6代目はいう。

 そして3つ目は、リタイア後の時間の有効活用である。休みは毎年年末30日~年始3日までの5日間だけである。即対応の必要があれば時間に関係なく店に急行する。立ち食いそば屋は過酷な仕事なのである。

「同窓会にも行けない。とにかく店に貼り付いて生活してきましたから。そろそろ自分の時間を持ちたいということはありました」

7代目が店を継いだわけ

 しかし、そういう幕引きができなかったというシナリオの主役が7代目加々本愛子さんとご主人の雄太郎さんである。愛子さんは大手IT企業に勤めていたという。2歳になるお子さんもいて雄太郎さんと子育てをしながら、「川村屋」とは全く別の生活を送っていたわけである。それがどうして引き継ぎたいと申し出をするようになったのだろうか。その最大の原因はお客さんの「川村屋」への熱い想いだったという。

「自分は3姉妹の次女で、3人ともお店とは少し離れて生活していました。もちろん、父や母から話は聞いていました。でもいつも大変だといっていたし、そんな大変な仕事は自分には無理かなとなんとなく考えていました。しかし、3月31日の営業最終日には、1800人を超えるお客さんが来てくれました。50人以上の常連さんが閉店時間までお店の前で待っていてくれて、温かい拍手とともに閉店を惜しんでくださって。そういう様子を目の当たりにして、川村屋にはすごい歴史と時間があったんだということを改めて認識したんです」愛子さんは熱く語り続ける。