昭和54(1979)年11月~平成15(2003)年3月、小野瀬せんが5代目となった。青汁の販売を開始したのはその頃である。
そして、昭和63(1988)年、笠原成元さんが川村屋で働き始め、廃業の危機を救った。同年、横浜博覧会が開催され、駅舎が移転。「川村屋」はレストランをやめ、立ち食いそばうどん専業となる。そして味の改良を行い、その手腕から徐々にお店の評判が上がっていった。
平成2(1990)年には「川村屋」がJR改札口正面での位置で営業開始した。こちらには随分通った記憶がある。そして平成15(2003)年4月1日に6代目として笠原成元さんが就任した。
平成16(2004)年に東急桜木町駅の廃止により、駅周辺の再構築が行われ、平成26(2014)年に現在の「CIAL桜木町」に移転した。そして、店舗も近代化し、「川村屋」がもっとも人気化した絶頂期を迎えることになった。「とり肉そば」は評判がよくうまかった。「天ぷらいわた」製の天ぷら達も名わき役として「川村屋」を支えてきた。大勢のお客さんが来るような人気店として認知されるようになっていった。
桜木町駅に寄り添うように「川村屋」は続いていく
初代横浜駅から始まり桜木町駅の焼失や改築・移転などが幾度とあっても、それらに寄り添うように「川村屋」は生き続けてきた。
「川村屋」は有限会社川村屋としてその屋号が引き継がれて現在に至っている。西欧レストランにあこがれて開業した初代やお倉の想いが、そばの味を高めていった6代目そして7代目へと引き継がれているようにも思える。創業123年の重みとでもいえばいいのだろう。
また初代、5代目、そして7代目の愛子さんと女性のオーナーが3人いることも特筆すべきことである。「川村屋」は女性が活躍する場所なのだろう。「1000杯売れてもお客さまにとっては大切な1杯。そのことを忘れない」という6代目の言葉を7代目がどう花開かせるか楽しみである。
関東大震災、さらに太平洋戦争などの廃業の危機を乗り越えて、コロナ禍以降もその屋号は生き続けている。そして平和の時代であるほどその輝きを増す。立ち食いそば屋は平和の時代の象徴だと思う。6代目そして7代目の想いが将来の「川村屋」を粛々と築いていく。今回の取材のまとめは次のような結論で終わりたいと思う。
「平和と桜木町駅繁栄の象徴……川村屋」
INFORMATION
川村屋
住所:神奈川県横浜市中区桜木町1丁目1番地 CIAL桜木町 停車場ビュッフェ
営業時間:月~土:7時30分~20時15分
日・祝:8時30分~20時15分
定休日:12月30日~1月3日