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 当時、お茶の間では小池よりもテニスプレーヤーの佐藤直子、「ニコニコ離婚講座」の円より子のほうが知名度は高かった。それなのになぜ、佐藤が9位、円が7位なのか。小池が参加する前から細川を支えてきた党員の一部からも、強い不満の声が上がった。日本新党の綱領を考えた男性候補者が小池の下位に置かれたのも、納得がいかない、と紛糾した。

 この時、小池を2位にするように細川に強く働きかけていたのは、細川の朝日新聞記者時代の先輩だったと、円より子も後年になって明かしている(公式ブログ 2017年5月12日)。

©文藝春秋

 佐藤直子はこの比例順位を知って、小池より自分が下位に置かれたことにショックと怒りを覚え、公示日前日に出馬を取りやめてしまった。日本新党に噴出した、小池をめぐる最初のトラブルだった。

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 投票日は7月26日。日本新党は佐藤が抜けた結果、予定よりも1名少なくなり16名が立候補した。

「私は日本新党のチアリーダー」

 小池は公示日後、しっかりとメイクし、約束どおり色鮮やかなミニ丈のスーツを着て、ハイヒールで登場した。計算どおりマスコミが殺到した。小池が街宣車のはしごに足をかけると、地面に頭をこすりつけるようにしてカメラマンたちはローアングルで構えた。小池は、「それ以上、近づいちゃだめよ」と笑顔で注意しながら、はしごを登っていく。男性有権者も、選挙カーにへばりつくようにして小池を下からのぞきこんだ。

 小池は「私は日本新党のチアリーダー」と語り、ミニスカートで全国を飛び回った。

 小池は街頭演説を初めて体験し、「女優が舞台に立ちたいと思う理由がわかった」と語っている。肝心の演説の中身は、一本調子の自民党批判であった。それが彼女の唯一の主張だったからである。雑誌では、「デブで腹黒い政治家はもういらない」と口にしている。

 この時、彼女が優先したのは演説の内容ではなく、自分のビジュアル・イメージだった。何を言うかではなく、何を着るか、どんな髪型にするか、それが人の心を左右するという考えは母の教えであり、テレビ界で竹村健一から学んだことでもあった。

 白い手袋やタスキをやめ、ファッショナブルで都会的な女を演出した。社会党の女性議員を嘲笑する気持ちが、根底にはあったのだろう。

©時事通信社

 新党を結党してからわずか2カ月で迎えた投票日。日本新党は、約362万票を得る。比例代表の得票率では、共産、民社を上回った。比例順位の4位までが当選することになり、小池は細川、寺沢芳男、武田邦太郎とともに、晴れて参議院議員になった。

 先月までニュース原稿を読んでいたのに、たった1カ月で国会議員に。

 男たちが全生涯をかけて、命がけで挑んでも、なかなか掴むことのできない大きな夢を彼女はあまりにもあっさりと手にしたのだった。