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初登院の「勝負服」

 初登院は8月7日。彼女はこの時も、何を着て行くかに知恵をしぼった。ミニスカートにハイヒールは外せない。だが、それだけでは定番だ。何をしたらマスコミが喜んで取り上げてくれるかを考えた。

 当日、彼女が選んだのはサファリ・ルックだった。サファリ(草原)に探検に行く時のようなファッションをいう。緑色のジャケットにヒョウ柄のミニスカートを合わせた。

緑色のジャケットにヒョウ柄のミニスカートを合わせたサファリルックで初登院 ©時事通信社

 狙いどおり記者やカメラマンが殺到し、「どうしてそういう服装で」と問われた。小池は用意してきた答えを投げてやった。

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「永田町には猛獣とか珍獣とかがいらっしゃると聞いたので」

 記者たちは大喜びで小池を大きく扱った。小池に聞けば、見出しになるようなコメントを言ってくれる。以後、テレビや週刊誌、スポーツ新聞の記者たちに彼女はエサを与え続ける。

 議員となった彼女のもとには、取材依頼が殺到した。キャスター時代よりもずっと注目された。政界に女性の数は少なく、彼女の大好きな「希少価値」が生まれたのだ。

小池が手に入れた「強み」

 いきなり週刊誌に連載コラムを持った。それも『週刊ポスト』、『週刊朝日』、『女性セブン』の3誌である。他にも雑誌の取材や対談を次々と引き受け、テレビ出演も断らなかった。

 国会議員として体験したこと、感じたことを伝えるためだと語っているが、それなら1誌で十分だろう。自己顕示欲の強さ故か、あるいは、できるだけ多くの週刊誌を自分の味方につけておきたいと考えてのことか。インターネットもSNSもない時代、自己発信できる媒体を持つことは大変な強みだった。新人男性議員にはとても太刀打ちできない。それは見方を変えれば、彼女がタレント議員として見られていたことの証でもある。

 だが、彼女自身には「タレント議員」という自覚はまったくなかった。この自己評価の高さが周囲との軋轢を、後々、生んでいくことになる。細川を含めて男性たちは、小池の野心や上昇志向の強さを、人となりを、まだ十分に理解してはいなかった。

国会議事堂の前ですらりとした脚線を披露(『週刊ポスト』1991年1月6日号)

彼女が語り続けた「物語」

 小池は当選後も、ミニスカート姿を売り物とした。『週刊ポスト』の連載コラムのタイトルも「ミニスカートの国会報告」。毎回、ミニスカート姿の写真を添えた。求められれば、あるいは求められなくても、ミニスカートでポーズを取った。国会議事堂をバックにミニスカートでスツールに浅く腰かけて脚を斜めに流す。そんな写真が当時の雑誌には、あふれかえっている。

 男性の国会議員や記者の間では、小池がソファに腰かけ、脚を盛んに組み替えることが話題になった。わざわざ小池の部屋に挨拶に出かけては、「あれは、やっぱりわざとかね」と囁き合った。セクハラという言葉もなかった時代。女性議員の多くが男性議員や後援会の男性、有権者から受ける性的ないやがらせや、悪質な冗談に苦しんでいた。だが、小池はそんな中で、むしろ、男たちを性的魅力で翻弄し、男の下心さえも逆手に取っているかに見えた。