1995年、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きたこの年、警察史に残る大事件が起きていた。國松孝次長官狙撃事件である。この事件は、犯人逮捕に至らなかったばかりか、公訴時効成立の記者会見で、警視庁が“犯人”を名指しするという前代未聞の出来事があった。
警察を揺るがした未解決事件の謎に迫るサスペンスミステリー『狙撃手の祈り』の著者・城山真一が改めて事件を紐解く。
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28年前の平成7年3月30日。日本の警察機構のトップ、國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された。これこそ、警察史上、最大の未解決事件ともいわれる“警察庁長官狙撃事件”である。
当時、このニュースを見たとき、戦慄が体を突き抜けた。ただ、それでも「次は警察か」と妙に冷静だったような記憶がある。
理由は、この年、日本国内で衝撃的な出来事が相次いだからだ。1月には阪神・淡路大震災が発生し、國松長官が狙撃される10日前には地下鉄サリン事件が起きた。どこか恐怖の感覚が麻痺していたのだろうか。
もうひとつ、当時22歳の自分には、重苦しい空気への耐性ができつつあったように思う。この時代に20代前半だった若者たちは、後に「ロスジェネ」と呼ばれることになる。バブル経済が崩壊した直後の就職氷河期に苦しみ、これからも“お先真っ暗”な未来しかないという諦観が当時の私にはあったのかもしれない。
犯人逮捕に全力を注ぐ警視庁
警察庁長官狙撃事件で國松氏は3度被弾。銃弾は内臓を貫通し、出血多量の重傷を負った。手術では、心停止を繰り返し、10リットルの輸血を受けたともいわれている。にもかかわらず、事件から2か月半後、國松氏は職務に復帰している。負った傷の重さを考えれば、奇跡の生還としかいいようがない。
警視庁は、公安部が主導する特別捜査本部を立ち上げて、犯人逮捕に全力を注いだ。地下鉄サリン事件との関連が強いとみて、國松氏を狙ったのはオウム真理教との見立てで捜査は進められた。捜査線上では容疑者と思しき人物が何人も浮上。取り調べを受けたなかには、オウム真理教の信者だった警察官もいたといわれている。
この“警察庁長官狙撃事件”が再び世間の耳目を集めたのは、捜査が終結した15年後の平成22年のことだった。このころは、世の中がリーマンショックの影響から立ち直れず、バブル崩壊直後よりも嫌なムードが漂っていた時期でもあった。