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胸のざわつきの正体

“警察庁長官狙撃事件”の文字を目にするたび、私の胸は、なぜかざわついた。「ロスジェネ」である私は20代でバブル崩壊、30代でリーマンショックを経験し、倒産する会社をいくつも見てきた。不況の波で会社は崩壊することもある。だが、警察組織は別だ。どれだけ事件を解決できなくてもつぶれることはない。公訴時効という“きまりごと”によって新たな事件の捜査へと向きを変えるだけだ。

 公訴時効はいうなれば、強制終了だ。当事者の心に刻まれた思いはすぐには消えない。被害者や捜査関係者は、長く心の奥に抱えてきたもの、背負ってきたものを簡単には下ろせないのではないか。彼らの思いは漂流し続けるのかもしれない。大きな事件であれば、なおのこと。“警察庁長官狙撃事件”から感じる胸のざわつきの正体はここにあった。

 ざわつきは、いつしか創作意欲に形を変えた。一方で、事件と向き合って何を表現できるのか、自分にそれだけの実力はあるのかという迷いもあった。とりあえず、できるかぎり情報を集めた。事件に関連する書籍だけでなく、ガセネタ、噂レベルのネット記事にも目を通した。やがて、捜査のときには光の当たらなかった事実がいくつか見えてきた。そこに登場する人物たちの抱えていた葛藤や苦悩が行間からにじみ出て、しばし目頭が熱くなることもあった。

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城山真一『狙撃手の祈り』(文藝春秋)

未解決事件の背景

 捜査をする側の話で印象に残ったのは、様々な事情によって、捜査がひとつのベクトルにまとまらなかったことだ。結果として、捜査本部は空回りを繰り返しながら15年が経過してしまったのではないか。

 犯人側の話は、どれを読んでも興味深かった。しかし、確証に至っているものはないような印象を受けた。それもあって、まだ世に知られていない真相が隠れているように思えた。

 やがて書籍で目にした、以下の二文が私の脳をたたいた。