50歳や60歳になっても、今のような心情でいられるだろうか?
夫の浮気や不倫で悩む女性が多い中、彼女の在り方を理解するのは難しいところではあるが、家庭は円満、両親・義両親との関係も上手くいき、互いの仕事も順調というなら、めでたい話である。
それでも、意地悪な私はふと考えてしまう。
先にも書いたが、浮気癖は一生治らないと聞く。今はまだ我慢で押し留めていられるかもしれないが、もし50になっても60になっても、女の尻を追い続ける夫を見て、今のような心情でいられるだろうか。
数ある浮気を許された夫は、すでに浮気はなかったことになっているはず。しかし彼女は、発言の中にもあったように、すべて覚えている。
いつ、どこで、どんな女と浮気したか。許しはしたが、忘れたわけではない。怒りや不信感は心の奥底に澱となって淀んでいる。そんな時、夫が何気なく、たとえば「俺たちっていい夫婦だよな」などと不用意に口にしようものなら、抑え込んでいた感情が一気に爆発してしまうかもしれない。
誰のおかげだと思ってるんだ!
両親の関係性が、子供たちに多大な影響を及ぼしてしまう可能性も
更に「大切な家族を守るためなら何でもする漢気のある女」「夫の度重なる浮気も受け止める太っ腹な妻」と自分に言い聞かして来た彼女自身、ただ自分に思い込ませていただけではなかったかと気づく時が来るかもしれない。
惚れた男に尽くしたい、と、惚れた男には尽くすもの、の差は些細なようで実は大きい。
これは彼女だけに言えることではなく、今も「女とは、妻とは、こうあるべき」という縛りから逃れられない女性がいるのも確かなのである。
そしてもうひとつ、そんな両親の姿を見て、子供たちは何を思うようになるだろう。
息子たちは「男は浮気して当たり前、妻は許して当たり前」そんな感覚に陥り、妻をないがしろに扱うことを平気でする夫にならないだろうか。逆に娘たちは、大人になって自分なりの分別を持つようになった時、「男の浮気は許すもの、それが妻としての役目」として来た母親に失望したりしないだろうか。
彼女の生き方は、彼女ひとりのものじゃない。子供たちにも大きな影響を及ぼすことにもなる。
女と男の間には、長くて深い川が流れている。
「女はこうあるべき」と、自分にかけた呪文から解き放たれた時、彼女はどこに行き着くのだろう。