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発掘!文春アーカイブス

2018/05/05

source : 文藝春秋 1996年11月号

genre : ビジネス, メディア, 働き方, 企業, 商品

 基本的には、その後の「奇跡」も同じ構造から生まれています。

 大ヒットした「ゲームボーイ」はもちろんのこと、「バーチャルボーイ」の開発の時もそうでした。最初は立体映像のゲームが作れないかというアイデアだけがあったのです。立体で見えるディスプレイをもう少し工夫したら何かできるんじゃないかという、非常に曖昧なアイデアでした。その実験をするには5,600万円のお金がいるので社長のところへ行ったのです。

 ところが社長はせっかちで、どんなものがいくらでできるのかまで聞いてくる。

 慌てて、閃くままにこうなってああなってと説明したら、社長が乗り気になって、600万円では足りないだろう、そのディスプレイを作ってるやつの権利も買い取れということになり、その場で600万円の予算案が一気に2億円になってしまいました。

 そんなことを続けて30年が経ちました。30年前の任天堂に比べると、変わってきたものも感じます。

 それは、いわゆる「大企業病」というべきものかもしれません。新しく入ってくる若い人に昔のことを話してもみんなびっくりします。

任天堂は「すきま」産業

 たしかに、彼らにとってみれば「世界の任天堂」に入社してきたのでしょうが、私達にとっては、京都の小さな企画会社。いまでも規模はそれ程大きくありません。自分で物を作っているわけでもなく、企画を考えて外注しているだけです。

 そういう意味では、「すきま産業」でこまわりをきかせて頑張ってきたのですが、ここにきて、そうもいかなくなってきました。私が55歳になったら独立しようと漠然と考えていたのも、そんなことが原因かもしれません。

 例えば、最近の任天堂では、新しい商品は年商1000億以上売れる可能性のあるものでなければだめだということを1つの基準にしています。1000億以上売れないものはやっても無駄だという発想なのです。

 なぜなら「スーパーファミコン」も、「ゲームボーイ」もそれぐらい売れています。そこで新しい商品を開発、販売、宣伝しようとすると、いまある柱のどれかをやめなければならないということになるのです。

ファミコンブームに日本中が熱中した ©文藝春秋

「これが退社の唯一の理由なのです」

 もちろん、設備投資をし、人員を増やせば新商品はできますが、その場合、従業員1000人たらずの現在の規模を拡大しなければならなくなります。

 上場企業になった以上、株主への責任もありますから、そんなに無茶はできません。となると、1000億の売上げの見込めることしかできなくなるんです。

 しかしそんなアイデアは、おいそれとあるものではありません。

 この話をほかの会社の人にしたら信じられないと言われました。あの天下のトヨタでも、100億儲かるならやろうということになると。しかし任天堂は違います。任天堂の商品の数は非常に少なく、それで数千億円の売上げをだしているからです。

 こうなると単なる閃きではもう賄いきれません。これからは衛星事業だとか、マイクロソフトと提携するとか、そういう分野に乗り出していかざるを得ないでしょうから、私の存在価値もだんだん下がっていくだろう、そんな気持ちもありました。

 つまり、私は一生アイデアを出し、玩具を作りつづけたかった。任天堂創業精神の「すきま型玩具」のアイデアをひねくっていきつづけたかった―――これが退社の唯一の理由なのです。

 かつて、いろんな企業からスカウトのお話を頂きました。ものすごいボーナスを約束されたりもしましたが、どんな形の仕事をするんだと聞いたときに、やっぱり任天堂のほうがいいと思い、心が動くことはありませんでした。

踏み台にされた苦い経験

 もちろん、ある意味では組織の人間ですから、独立するには、生活の不安もあります。また、企業で生活する以上、人間関係でいやなことも経験しました。

 ワンマン体制は、いい面ばかりではありません。ワンマン体制を悪用してのし上がろうとする人間がどうしても出てきます。私も1度、そういう人間の踏み台にされたことがありました。

 私は金銭欲や名誉欲が比較的少ないほうだと思いますから、任天堂の中では敵は少ないほうだったと思うのです。しかし、それを利用して踏み台にされたことが1度だけありました。

 かつてある人物が困っていて助けたことがあるんですが、にもかかわらず飼い犬に手を嚙まれるような行為をされたことがあります。