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発掘!文春アーカイブス

2018/05/05

source : 文藝春秋 1996年11月号

genre : ビジネス, メディア, 働き方, 企業, 商品

一生懸命モテる努力をせよ

 ずっと開発をやってきましたが、無から有を生み出す人間がほんとうに世の中には少ないのです。30年間開発をやりましたが、私のもとで働くことでクリエイティビティを持った人間が育つということはありませんでした。

 息子が「お父さん、どういうときにアイデアって浮かぶの」と聞くぐらいだから、これは親子も関係がない。つまり、遺伝も関係がないということです。

 ただ、私がよく息子に言うのは、

「お前、女の子にモテたいだろ、それがアイデアを考えるコツだ」

 人の気持ちを引きたい、それは男でも女でも一緒です。その気持ちを商品にぶつけることが、売れる商品に結びついてゆく。だから一生懸命モテる努力をしたほうがいい。沢山の人間が喜んでくれるものを作る、これこそが売れる商品の根本でしょう。

 これから、私が世にだしてゆくものには任天堂時代、私が考えながら商品化出来なかったものがたくさんあると思います。

 しかし、これは任天堂と対決するということではなく、本当に売れそうなら任天堂に頼んで売ってもらうこともある、という開発です。現に、辞めるに当たって、山内社長にも、そういう場合は協力していただくようにお願いしました。

 マスコミは私の退社を山内社長との喧嘩のように報じたがります。しかし、私にとって、任天堂は育ての親であり、開発精神の故郷でもあります。そして偉大なる「すきま産業」がいつまでも繁栄してほしい、と本当に心から願っているのです。

大ブームになった初代ゲームボーイ ©iStock.com

《解説》横井氏が任天堂に残した、玩具メーカーならではのDNA

任天堂アーカイブプロジェクト代表・山崎功

 横井軍平氏が「伝説の開発者」と呼ばれ注目されるのは、ごく普通の会社員なのに数々のヒット商品を生み出し、「世界の任天堂」へと大躍進させたのはもちろん、彼の残した「枯れた技術の水平思考」という考えが、日本のモノづくりの原点を示しているからだ。

 メイド・イン・ジャパンは、かつて高機能と高品質でグローバル競争にも勝ち残れると自負してきたが、今ではそれが揺らぐ状況が起きていることは誰もが感じているだろう。

『ファミコン』で急成長した任天堂も、1990年代半ばにはソニーやセガとの熾烈なゲーム機販売競争を繰り広げ、成長の踊り場にいた。ゲームは驚異的なスピードで進化し、メーカーはゲーム好きな人たちの声に応えようと、高性能・大容量化の道を突き進んだ。その結果、複雑化するゲームについていけない人たちのゲーム離れが起き、ゲーム市場は縮小。

 そんな中、任天堂は10年ほど競った末にスペック競争から離脱し、もう一度遊びの原点に立ち返ることで、誰もが楽しめるゲームを目指した。『ニンテンドーDS』や『Wii』はこうして生まれ、幅広い年齢層の支持をうけ、任天堂を再びトップカンパニーへと導いた。元社長だった故・岩田聡(さとる)氏はその時の成功の秘訣を「枯れた技術の水平思考」であると明言している。

「ゲーム&ウオッチ」マルチスクリーンシリーズの2作目「ドンキーコング」のソフト。ニンテンドーDSに通じるインターフェイスになっている 写真提供:山崎功

 任天堂が横井氏の生んだ哲学に帰結できたのは、もともと玩具メーカーだったからに他ならない。玩具は安く作らなければならず、面白くなければ売れないため、必然的に「枯れた技術の水平思考」へとたどり着く。任天堂の開発者たちは、スペック競争から一歩引いて全体を見ることで、横井氏がこだわった遊びの本質を再発見したのではないだろうか。

 最近は、スマホゲーム『ポケモンGO』(ナイアンティック&ポケモン)や最新ゲーム機『ニンテンドースイッチ』の成功など明るい話題の多い同社だが、少し前には『WiiU』の販売不振による苦い経験があった。スペックはライバル機より低くても、コストバランスを図り、アイディアで挑む任天堂には、横井氏が残したモノづくりのDNAが今も脈々と流れ続けているのだ。

 横井氏はすでに他界しているが、その哲学は極めて日本的な職人技のモノづくりであり、私たちが今後グローバルで生き残るためのヒントがちりばめられているハズだ。そして横井氏の哲学が生き続ける限り、これからも任天堂は独創的な製品で、世の中をあっと驚かせてくれるだろう。

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