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薗部 それがまったく。だから僕は、アスキー時代はほとんどひとりでゲームを作ってました。会社の仕事そっちのけだったので、完全なダメ社員でしたけどね(笑)。

――そんなアスキーの社員時代に、念願の野球ゲームもリリースしています。

薗部 パソコン版の『ベストナインプロ野球』を作るのは楽しかったですね。小さい時に紙でやっていたゲームのパソコン版で、選手をデータで個性づけして、自分は「見てるだけ」というゲームです。

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――当時は『プロ野球ファミリースタジアム(ファミスタ)』のようなアクション型の野球ゲームが大流行していましたが、『ベストナイン』はかなり異色でした。

薗部 僕が作りたかったのはシミュレーションゲームですからね。でもナムコさんの『ファミスタ』を見たときには選手の個性をデータで作る部分が一緒だったので「やられた!」って気持ちがありましたよ。

ファミリーコンピュータで発売した「ベストプレープロ野球」

――のちにファミコン版で『ベストプレープロ野球(ベストプレー)』も作られています。

薗部 いまにして思えば、あれはちょっとひどかったかもしれません。

―― どうしてでしょう?

薗部 パソコンゲームならユーザーの年齢層が高いから「見てるだけ」でも楽しみ方を見つけてもらえるんですけど、ファミコンで子どもが遊ぶゲームとしては明らかに不親切ですよね。一応プレイヤーは監督としてサインを出せるんだけど、基本的には結果を見て楽しむゲームなので、『ファミスタ』みたいなゲームだと思って購入した小学生から「どうやったら打てるの?」って電話がものすごくかかってきました(笑)。

「競馬のゲームを作れば仕事と称して競馬場に行けるなと(笑)」

――当時はパッケージの絵で内容を想像して買うことも多かったですよね。苦情にはどう対応していたんですか?

薗部 ユーザーサポートの電話が全部自分のところに回ってくるようにして、ひとりひとり対応していました。でも売ってしまったものは直せないし、僕もいい加減だから「すみません、開発に言っておきます」みたいな感じで謝って済ませていました。僕がひとりで開発していたから、嘘というわけでもないんですけどね。

 

――それでも『ベストプレー』はゲームファンに愛され、売上も良かったんですよね。なぜ競馬のゲームを作ろうと思われたんでしょう?

薗部 当時は競馬ブームの真っ最中で、会社の同期にも熱狂的な競馬ファンがいました。彼に競馬を教えてもらってハマってしまい、競馬のゲームを作れば仕事と称して競馬場に行けるなと(笑)。オグリキャップが、今度の天皇賞(秋)ではじめて年上のタマモクロスと対戦するんだよ、という時期でした。はじめて競馬場に行ったのは、その年の有馬記念(優勝オグリキャップ)。

――競馬のどこに魅力を感じましたか?