『最愛の』(上田岳弘 著)集英社

 愛するとはどういうことか。上田岳弘の長編小説である本作は、言葉にすると野暮ったくすらあるこの問いを突き詰めるなかで、紆余曲折を経ながら、あるいは右往左往をしながら、最終的に逆説的なかたちで愛のかたちをつかもうとする。まっすぐであろうとするがゆえにかえって屈折していくのは著者の魅力でもある。

 渋谷のコワーキングスペースを利用して働く久島(くどう)は、そのオフィスで出会ったスタートアップ企業の取締役兼画家の男に、かつての文通相手である望未(のぞみ)の話を書くように勧められる。中学生のときに知り合った望未は、事故に遭ってから長いあいだ学校に通うことができず、久島とは中学生の時分から大学卒業間際まで文通を続けた。物語は、キャバクラで知り合った女性とのエピソードや大学時代の友人や先輩との思い出が挿まれつつ、望未の手紙について語られていく。最近亡くなってしまったらしい望未は、過去に久島とどのようなしかたで交流をしており、いかにして「私のことを忘れてください」という約束が交わされるにいたったのか。なんとなく示されている結末に、どのようにいたるのか。少しずつ知らされる事実の断片がやがて結ばれていく構成には、謎解きのような感触もある。

 さてそんな本作には、次のような問いが潜んでいる。すなわち、すでに結末が決まっているものに対してわたしたちはどのように働きかけたらいいのか。作中の言葉を借りるなら、「落下する鉄球」に対してわたしたちはどのように対峙すればいいのか。このような問いは、本作のあからさまなオマージュさきである村上春樹の諸作品にも見出される。あるいは、自分の意志ではどうにも逃れられない「重力」について描いた、著者の過去作「塔と重力」にも見出される。さらに言えば、それらの淵源には作中にも登場するシェイクスピアの悲劇的な運命をめぐる物語がある。わたしたちの物語がくり返し問うてきたものだ。

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 どうにもならない決定的な喪失に対していかに向き合うのか。本作はこのような問いかけを通して、愛について思考していく。そのなかで望未は、久島に自分の存在を支えてもらったからこそ、愛を込めて「私のことを忘れてください」とお願いするにいたる。本作は、愛するからこそ手放さざるをえない、という逆説的で悲劇的で厄介な愛のかたちを描く。

 なにかを本当に愛することは、悲劇的で厄介なことに違いない。ただ本作が他方で示すのは、その逆説的な愛のありかたが物語というかたちで自立していることである。望未が久島への手紙で自分のことを語ることを通じて、ばらばらになった自分をかろうじて支えていたように。愛するとは物語ることである。本作に対してはなにより、物語に対する愛を感じる。その点に感銘を受けた。

うえだたかひろ/1979年、兵庫県生まれ。作家。2013年、新潮新人賞を受賞しデビュー。15年、「私の恋人」で三島由紀夫賞、19年、「ニムロッド」で芥川龍之介賞、22年、「旅のない」で川端康成賞を受賞。著書に『キュー』など。

 

やのとしひろ/1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『今日よりもマシな明日 文学芸能論』『学校するからだ』などがある。