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連載春日太一の木曜邦画劇場

原作小説と映画的脚色を語り合った鶴橋康夫監督と筆者、若き日の記憶――春日太一の木曜邦画劇場

『愛の流刑地』

2023/11/22
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2007年(125分)/東宝/5280円(税込)

 筆者は大学卒業後は大学院に在籍して「時代劇研究」をする一方で、脚本家を目指して各所で下働きもしていた。

 その際に、最も目をかけてくださったのが、先日亡くなった鶴橋康夫監督だった。読売テレビのディレクター時代に撮った『性的黙示録』『永遠の仔』『刑事たちの夏』など、人間の深淵を抉るような毒の強いドラマの数々に惹かれており、筆者が「先生」と呼ぶ、唯一の存在だった。

 当時の監督は局を独立し、初めての映画に臨もうとしていた。そして、初監督作の脚本に筆者を指名した。筆者にとってもデビュー作となる。

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 脚本は一年近くをかけて完成した。だが、その直後に雲行きが変わった。急きょ、ある小説が映画化されることになり、それを鶴橋監督が撮ることになったのだ。

 それが、今回取り上げる『愛の流刑地』だった。

 当初、この第一稿も筆者が書くことになっていた。原作はまだ新聞で連載中だったので、その切り抜きを読んだ。

 不倫にあけくれる中年男女の話で、情事の最中に女から「殺して」と言われた男が実際に殺してしまい、そのために罪に問われるという展開だった。当時二十代の筆者には中年趣味丸出しの内容に全く興味を持てず、原作通りの脚本でデビューしたら、正直言って一生後悔すると思った。

 そこで、ある脚色案を考える。それは、監督の往年の名作『魔性』を意識したものだった。『魔性』とは、恋人を殺して死体を食べた同性愛者の女性(浅丘ルリ子)と、死刑執行を望む彼女からなんとかして罪の意識を引き出そうとする牧師(三國連太郎)とのせめぎ合いのドラマだ。

 筆者の『愛の~』脚色案はそれを踏まえ、女性への執着のために現実と妄想の区別がつかなくなった中年男と、冷静に現実を解き明かしていく検察の対峙――というものだった。主人公を惨めなドン・キホーテに落すつもりでいた。監督もその案を喜んでくれたが、それでは原作者の納得を得られないだろうと却下。原作通りにやると監督は言い切り、そして筆者は逃げた。

 完成作は、ほぼ原作通りだった。あの原作を堂々と正面突破をして、直球の恋愛映画に仕上げた腕力には、感心したのを覚えている。だが、それはもはや「先生」と尊敬した人の仕事ではなかった。その後、筆者は今の仕事に本腰を入れるようになる。

 数年前、久しぶりに再会した際、「春日の書いたあの脚本、今も映画にしたいと温めている」と言われた。「楽しみにしています」と心にもない返答をした瞬間、「先生」から「卒業」したことを実感し、一抹の寂しさを覚えた。

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