『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』が十一月二十七日に発売される。
『羅生門』で脚本家デビューして以来、幾多の名作を生み出してきた橋本の映画人生は、「栄光」そのものといえる。だが、それだけではなかった。キャリアの終盤は「挫折」が続いたのだ。その双方をサブタイトルに入れたのは、光と影の双方の側面を描いたことを伝えたかったためだ。
そして、「栄光」に彩られた橋本忍のキャリアが「挫折」続きになる入り口となった作品が、今回取り上げる『幻の湖』である。
橋本は自らプロダクションを設立して映画製作にも乗り出しており、第一作『砂の器』、第二作『八甲田山』と続けて大ヒットに導いている。そして、第三作として作られたのが、『幻の湖』だった。橋本は自身で監督もしている。
これが、前二作が嘘のように、興行的にも内容的にも大失敗に終わる。東宝創立五十周年記念作品の一つだったが、あまりの不入りのために早々に公開打ち切りとなった。
内容もまた、とんでもない。
女性が男性に性的なサービスをする特殊浴場、今でいうソープランドが立ち並ぶ、琵琶湖西岸の雄琴が舞台。愛犬を何者かに殺されたソープ嬢の道子(南條玲子)の、執念の犯人捜しと復讐劇が描かれる――。
これだけを読むと、濃密な因縁ドラマを得意とする橋本の手にかかれば面白くなりそうに思えるところだ。が、実際には全く締まりがなかった。
愛犬と共に琵琶湖岸でジョギングに勤しむ道子の姿が延々と映されたり、同僚の白人女性が実はCIAの諜報員だったり、唐突に戦国時代のパートが始まったり――。さまざまな要素が物語の主筋と上手く絡むことなく挿入され続け、観客を混沌に巻き込む。
何より驚くのは、復讐の手段だ。とっとと犯人を刺せばいいのに、道子は一方的にマラソンでの勝負に挑み、それに勝った上で殺そうと思い立つのだ。なぜそうするのかが示されていない上に、マラソン対決が二度も、しかも全く盛り上がりの無い冗長な演出で延々と繰り広げられるため、観客は置いてきぼりに。
これが低予算作品なら分かるのだが、映像だけは重厚な、三時間近い超大作なのだ。それだけに、内容のカオスとのギャップがあまりに激しく、観ていて戸惑うしかない。
本作を未見の方は、まずは橋本の名作を複数ご覧いただいてから接してほしい。すると、「これだけの名作を書いてきた人が、なぜいきなりこんな作品を――」と困惑するはずだ。その上で『鬼の筆』を読まれると、完成に至る全貌に驚愕することだろう。