――診断を受けた時、どのように感じましたか。
赤平 「発達障害ってなんだろう」くらいの感覚でした。特に困っていることもなかったし、何がいけないんだろう、くらいでしたね。
発達障害のことを大学の図書館にこもって調べまくる
――困りごとが出てきたのはいつ頃から?
赤平 小学校に入ってからです。授業を座って聞けない、集団行動ができないのは当たり前で、忘れ物をはじめ、身の回りの管理もまったくできなくて。それでも1学期は、他の子もできない子だらけなのでそこまで目につかなかったのですが、2年生に上がる頃には皆大体、一通りのことができるようになっていて。そんな中、息子1人だけがずっとできないまま。そうなると、クラスからも浮いてしまうわけです。
これは大変だと、僕もこの頃から発達障害について本格的に勉強をはじめました。
――発達障害に関する論文にもあたったそうですね。
赤平 500本は読んだと思います。息子が発達障害と高IQだと診断を受けた頃、ちょうどMBAを取得するために早稲田大学の大学院に通っていました。師事していた教授からも、「調べ物をするなら原典に当たったほうがいい」と言われていたので、それなら発達障害の原典もあるはずだとハッとして。その日から「赤平は早稲田に住んでいる」と言われるほど、大学の図書館にこもって、狂ったように資料をコピーしまくっていました。
論文の内容と実際の現場との“矛盾”
――論文にあたってどんな発見がありましたか。
赤平 まさに今の活動にもつながることだったんですけど、500本の論文を読んだ頃、「あれ?」と思う矛盾があったんです。
2005年に発達障害者支援法が施行され、学校の先生や保育士たちに対して発達障害の知識を深める土壌ができたにもかかわらず、2010年代の論文で、教育にかかわる現場職員たちの発達障害への知識が高まっていない、というデータにぶち当たりました。それも、1つや2つじゃないんです。
当時は法律の施行から10年も経っていたのに、現場の方のアンケートを見ても、発達障害のある子どもに適切な支援ができないばかりにクラス崩壊を起こしている、という悲鳴が散見されました。
――せっかくできた法律が、現場では活きていなかった?
赤平 データ上は、ほとんどの教員が研修を受けていることになっていましたが、実際は先生が忙しすぎるがゆえに、代表の数人だけが参加して、その先生から同僚に伝えることで多くの教員が、記録上では「受講済み」となっていたようです。