ふと下のほうを見たら、片手のないちびっ子のサルがいました。でも大人のサルが怖くて、ピーナッツをあげられなかった。どうしようと思っていたら、父がその子の口元にピーナッツを運んであげたんですよね。わたしはそれをしてあげられなかったから、怖さよりも、「この人はこのちびちゃんをちゃんと見つけて、エサをあげてくれたんだ」っていう印象がすごく残っています。

幼少期の赤井沙希さんと父・赤井英和さん(『強く、気高く、美しく 赤井沙希・自伝』より)

「この人にとってわたしは子供じゃないんだ」と途方に暮れた出来事

 京都の四条大宮という駅で父とお別れすることになって、「なんだったんだろう、今日は」と思いました。べつにまた父と暮らすわけでもないんだなとか。母が車で帰ろうとしたら、駅の売店の陰から父が覗いてきて。隠れたと思ったら、ヒョコッと顔を出して、またバイバイしてきて、また隠れたと思ったら、またバイバイ。 

 わたしと姉はゲラゲラ笑って、「もう帰ったんちゃう?」「まだいた!」とか言って、何回も何回もやってくれて。車の中でずーっと笑っていました。

ADVERTISEMENT

 いま思えば、あれは父が再婚するタイミングだったんです。

 わたしが9歳のとき、父が『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーになりました。べつに興味はなかったけど、「ちゃんと走り切れるのかな?」とか心のどこかで思ったりしていて。ゴールした瞬間、「やった! パパ、走り切ってよかった!」って思ったら、この感謝をだれに伝えたいか聞かれた父は、家族の名前を挙げたんですよね。わたしの名前はもちろん入っていなくて……。

©文藝春秋

「ああ、わたしにとってお父さんはこの人だけだけど、この人にとってわたしは子供じゃないんだ。でもわたしは日常に生きていて、これを見続けなきゃいけないんだ」と途方に暮れました。