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 後年、恋多き女、奔放な女優と言われる大竹だが、共演者やスタッフからの評判はすこぶるいい。その陰には、『青春の門』の浦山桐郎監督の“教え”があったという。

 自分の出演シーンの撮影1カ月前から、毎日学校帰りに撮影現場に通っていた大竹は当時のことをこう振り返っている。

「スタッフさん一人ひとりの顔をちゃんと見て覚えなさいっていうことを言われていたんです。そうすると、この人が照明の〇〇さんで、この人が録音さん、結髪の○○さんで……とか、覚えていくんです。映画のつくり方も経験できてよかったなと。ロケに行けば、役者もスタッフも全員で大広間でお食事をして、そこでいろいろな先輩から話を聞いていたので、今はそういうことも少ないから、寂しいなと思うこともありますね」(「ESSE online」でのインタビューより)

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新橋演舞場で(本人のインスタグラムより)

 プライベートでは、25歳の時に大竹はTBSのドラマディレクターの服部晴治氏と大恋愛の末に結婚。長男・二千翔(にちか)を出産するが、結婚から5年で服部氏ががんで逝去。30歳にして未亡人となった。

1人めの夫と死別した翌年に、明石家さんまと再婚

 しかしその翌年、TBSドラマ『男女7人夏物語』(86年)、東宝系で公開された映画『いこかもどろか』(88年)で共演していた明石家さんまと再婚。ほどなく長女・IMALUも生まれている。だが4年後の92年、大竹が長男とIMALUの親権を持つことで合意した上で、さんまと離婚。

元夫・明石家さんまとのツーショット(本人のインスタグラムより)

「恋多き女」というイメージが定着したのはこの頃からだ。その後、演出家の野田秀樹と数年にわたって同棲生活を送るなど恋愛の香りをまとい続けている。一方で離婚した明石家さんまともバラエティ番組などで何度も共演し、現在も折に触れて誕生会などを開いている。同棲解消後も野田秀樹の舞台に出演しており、この明るさは大竹ならではだろう。