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海外からも続々届く出演依頼。初めての地は…
さてその『ハルヒ』ムーブメント以降、私自身も、イベントやグラビアなど、声優としてのアフレコ以外の仕事が劇的に増えていきました。これほどのタレント活動は老舗の大手声優事務所「バオバブ」でも前例のないことです。
「イベントがすごく多い!」
「撮影の打診がものすごく来る!」
「海外でも歌うんですか!? マネージャーは誰が行けます?」
と、事務所内がバタついていました。そう、海外でも、です。
この頃、すでに世界で日本のアニメブームは始まっていました。海外の大きなアニメイベントに、今ほどではないですが、日本のアニメ関係者がゲストとして招待される機会も増えていました。
私が初めて招待されたのが、台湾・台北でのアニメイベントでした。トークショーでは通訳の方がずっとついてくれていたのですが、日本語が、特にアニメファンの人たちにはとても伝わることに驚き、うれしかったです。イベントを特集した雑誌の表紙に「世紀末極速女王傳説 後藤邑子」と見出しが載っているのを見つけ、私のひとり歩きしたイメージが、ついに海を渡っていたことも知りました。