漢字の表記変更、イメージ重視による改称、合併の際の事情……。私たちが何の気なしに呼んでいる「地名」は、さまざまな変遷のはてに現在の「地名」となっている。そんな奥深い歴史に迫った一冊が、地図研究家の今尾恵介氏による『地名散歩 地図に隠された歴史をたどる』(角川新書)だ。

 ここでは同書の一部を抜粋し、「通り」の呼び名について、全国各地の歴史を紹介する。

◆◆◆

ADVERTISEMENT

東京の「通り」と大阪の「通」

 東京のJR水道橋駅のすぐ近くに土地家屋調査士会館がある。その東側に面した通りが「錦華通り」だ。ずいぶん昔の話になるが、私は大学生の頃に小さな出版社でアルバイトしていた。近くの古めかしい倉庫からマンションの1室にある会社まで、本を積んだ台車でこの通りをよく往来したものである。そんな名前が付いていたとは最近まで知らなかったが、錦華という名は通りの南端にあった錦華小学校(現お茶の水小学校=令和5年現在工事中)や隣の錦華公園にちなむようだ。夏目漱石がここに通ったという石碑も建っている。

 地名には都道府県名から小字に至る居住地名、富士山や利根川などの自然地名が知られているが、駅名や橋の名前などの施設名も場合によっては加えられる。そうであれば、通り名を「地名」に含めても問題ないだろう。その名付け方については前述の錦華通りのような施設名に由来するもの、甲斐の国(甲州)に向かうから甲州街道、水戸へ通じるので水戸街道のように、目的地の広域名称や都市名などを採用したものなどさまざまであるが、今回は「通り」にあたる部分に注目してみよう。

©AFLO

大阪では「通り」に送り仮名をつけない

 東京では「通り」が圧倒的に多くを占めるのだが、全国を見渡せば伝統的な呼び名のバラエティがある。たとえば大阪の御堂筋や堺筋などに見られる伝統的な「筋」。原則として南北の通り名で、このふたつは地下鉄の線名(御堂筋線、堺筋線)にもなった。御堂筋は本願寺津村別院(北御堂)と真宗大谷派難波別院(南御堂)の双方に面していることにちなむ江戸時代からの呼び名である。

大阪市・船場に見られる筋(南北の通り)。本願寺派の西(北)御堂と大谷派の東(南)御堂に由来する御堂筋がまだ細道だった頃。「大阪市街全図」和楽路屋 大正2年発行

 大阪市の南北の主軸として現在のような6車線道路(24間=約44メートル幅)に大拡張されたのは大正末から昭和にかけてで、大阪初の地下鉄もこの下に建設された。大阪の東西の通りは「通」で、東京が送り仮名付きの「通り」であるのに対して、大阪では付けない。