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何より衝撃だったのは《年に2枚アルバムを作って、同名のツアーを2回演る》という提案

 でも何より衝撃だったのは、これは今まで明かして来なかった事ですが、《年に2枚アルバムを作って、同名のツアーを2回演る》という提案です。

 死にものぐるいで続けました。おかげで私はセカンドブレイクを果たすことが出来たと思っています。

 一方私も、作詞家ペンネーム伊達歩にダメ出ししたこともあります。「ここは漱石の〇〇の〇〇な気持ちなんだ。」と言うので、「歌に説明は出来ませんよ。」って。

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「あんたの才能が羨ましいよ。」それから、「オレは必ず直木賞を獲る!」と、ときどき宣言してましたっけ。

 ちがう頂を目指す者たちは、袂を分かつことになります。

 最後に会ったのはバブルの頃、共通の知人の結婚式でした。

 10年近くご無沙汰してたけど、伊集院さんは相変わらず、男の色気とカリスマ性の塊みたいでしたね。

 その頃私は、日本人初のCDミリオンセールスを達成した直後で、伊集院さんが凄い事だ凄い事だと、仕切りに褒めてくれたのが嬉しかったです。

 なんとそのちょうど1週間後、直木賞の受賞と結婚が発表されるとは、あのとき私が伊集院さんに、ビブーティーをかけてあげたからよ!

 なんてもうその時点では、大体わかっていたのかも知れませんけれどね。

 目下、デビュー50周年をしめくくる“The Journey ツアー”で、私は再び龍に乗っています。

 昔のままの自分が、あの豪放なアイディアの上で歌っています。でも、今の龍の驚くべき精度の高さと、複雑に洗練されたライティングに、長い長い時の道のりを感じずにはいられません。

 夢をくれしきみの、まなざしが肩を抱く

 出来るだけ長く輝けますように。
 どうぞ空から見ていてください。


2023.11.28
      松任谷由実

松任谷由実さん