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“日常の謎”からの流れ

――「本物か」は、ラストを飾るにふさわしいサプライズ度の高い1編だと思います。

米澤 一番トリッキーな作りのミステリですね。ここまでの4編は変形を含みつつも何が謎であるか、何を追求すべきかという、いわゆる設問を明確にしていました。「本物か」に限っては設問が伏せられ、読者が補助線を引かないと真相に辿り着けない構造になっています。

――読者が“何を考えなくてはいけないか”が最初のうちは提示されないということですか。

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米澤 そうです。目の前で次々と出来事が起きるが、一見して読者への問題、謎の提示と思えるものはない。では、葛は何を問題にしているのか……をトレースして補助線を引くと真相が見えてきます。

 設問を伏せるのはアンフェアではないかという迷いもありましたが、5編目であるからこそ許される作り方だと考えて自分の中でこのプロットを通しました。

――凶器当て、ミッシングリンク、大小のホワイダニット、と謎の所在や問いを明確にした4編を経て、最後は自分で問いを立てる、そういうスタイルになっているということですね。

米澤 葛はこれまで何をゴールに捜査をしてきたか、がヒントかもしれません。

――ファミリーレストランで立てこもり事件が発生し、犯人の手に拳銃のような物が見えたことで現場に緊張が走る。臨場した葛は逃げて来た客や店員の証言を集めていきます。

米澤 葛が真相に近づいていく手段そのものは、“日常の謎”的なんですよね。厨房スタッフたちから聞き取ったパスタの茹で時間から推論を立てたり。

 日常の謎といえばの北村薫先生に「六月の花嫁」『夜の蝉』所収)という短編があります。大学生たちが遊びに行った別荘でいくつかの他愛ない物がなくなっていく。消えた物に法則はあるのか、次になくなる物は何かという会話をしながら、最後の最後で、別荘で起きていたことは何だったのかという問いがいきなり投げかけられる。今日のイベントのために自分の本棚を見ていてふと、「問いがスイングされる小説を確かに自分は読んできたのだな」と思い、「六月の花嫁」の鮮やかさにも改めて気付きました。

――「本物か」の源流に「六月の花嫁」があるというのは意外ですが、伺うと納得ですね。そして5編目は、読後感の点でも他と少し違うように思います。

米澤 警察が出てきているということは事件が起きていて、ということは被害が発生している。解決したからといって被害は取り返しがつかない。後味としてはどうしたって苦い物が残るし、それは警察という仕事の宿命だと思っています。その上で、1冊の小説を読んできて、最後の話くらいは何か1つくらい、少しは「まあ、これについては良かったね」と読者が思えるところがあればいいなと。