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米澤 葛が上司の新戸部(にとべ)から、逮捕に踏み切らない理由を訊かれ、深夜3時に4人も目撃者がいて、しかもその内容が全員一致したからだと答えた瞬間、新戸部も「そうか」と納得するシーンは、自分でも気に入っています。警察官なら直感的に怪しいと思う事態だと描いているわけです。

 証言者が多数いるからこそ疑うべき、というロジックの源流は、ジョン・ディクスン・カー『緑のカプセルの謎』だと思っています。犯罪研究家が“人間の観察力がいかに当てにならないか”を証明するために寸劇を行うのですが、3人の人物に劇中で見たものの詳細を問うと全員が食い違う。これがとても印象的でした。ここから一歩進んで、合致には何らかの作為があると疑う葛の思考に繋がっています。

――新戸部捜査第一課長、さほど出番が多くはないけれど、存在感のあるキャラですね。

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米澤 部下にお追従してほしいのに、誰も応えてくれない。なぜなら新戸部本人がご機嫌取りより捜査能力重視で部下を選んでいるから、という自己矛盾の人です(笑)。

犯人逮捕の後が本番!

――収録作中でも屈指の複雑な構造を持つのが「命の恩」です。

米澤 中盤で犯人が逮捕されますが、実はそこからが本番ですね。

――人目につく場所に捨てられたバラバラ死体。犯人は隠し易くするために死体を小さく切断したはずなのに、すぐ発見されるような捨て方をしたのはなぜか、というホワイダニットで物語は始まります。

米澤 一見無駄に思える行動の理由を問う出発点ですが、その謎、ホワイは最終的にはもっとミクロな謎に移行していく。物語の進行につれて謎の焦点が変わるように作ったつもりです。

――ある時点で第1ホワイダニットが転調し、第2ホワイダニットへとさらなる謎が発生する贅沢なミステリです。

米澤 なぜ、を問うミステリは大きく2つに分類できると思います。犯行の動機を問う、いわば王道を大ホワイダニットとするなら(次に収録した「可燃物」がこのタイプ)、動機そのものではないけれど犯人の非合理な行為の理由を追求することが解決につながる、小ホワイダニットとでも呼ぶべきものもある。例えば「犯人はなぜ現場でピザを食べたのか?」(津原泰水「冷えたピザはいかが」『ルピナス探偵団の当惑』所収)とか、そういう種類の謎です。

 本格ミステリ的な「なぜ?」の極めつけは、何と言っても、綾辻行人『迷路館の殺人』、第五章の題にもなっている「首切りの論理」でしょう。なぜ、首を切ったのか。この小ホワイダニットを解くことで、一気に全体の構造が見えてくる。「命の恩」はこうした二段構えの作品を目指しました。

――重層構造の謎解きも素晴らしいですが、人物描写も読みどころです。

 葛自身は無口ですが、読者が知る登場人物の言動というのは実は葛の目を通して結像したものです。おのずと、その描写にも葛が思ったこと、内面が投影されているのですよね。だからつい、人間関係を深読みしてしまう。

米澤 詳しくは言えませんが、それもレッドへリングなんです。ある人物が言っていることは、あくまでも当人の認知で事実とは限らない。そのズレを利用して……。

――まんまと引っかかりました。