馬英九政権のもとで台湾は中国に対して融和政策をとり、国際社会の中での活動空間を拡大させた。しかし、時とともに対中依存への不安が高まっていった。「台湾人アイデンティティ」はどのように育まれたのか?

 ここでは、台湾をめぐる国際情勢を読み込みながら一つの台湾現代史を紡がれた、中国近現代外交史・現代台湾政治の研究者である家永真幸さんの『台湾のアイデンティティ「中国」との相克の戦後史』(文春新書)を一部抜粋して紹介。

家永真幸『台湾のアイデンティティ 「中国」との相克の戦後史』(文春新書)

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馬英九政権の対中融和政策

 馬は総統就任後、毎年6月4日に談話を発表し、自由、民主、人権、法治といった価値観への関心を表明し続けた。総統再選を期す12年の選挙の前年にあたる11年6月の談話では、劉暁波と艾未未(1957-)の名前を挙げ、言論活動によって拘束されている人びとを釈放するよう共産党政権に呼びかけてもいる。

 しかし、大局的に見て、総統就任後の馬は共産党政権批判のトーンをかなり抑え、大陸中国との経済交流を活性化させることに注力した。結果的には、馬の在任中に劉暁波が期待したような人民共和国の政治変動が起こることはなかった。

 馬は2008年の総統就任前から、大陸中国との関係を安定化させることを選挙公約に掲げ、そのなかで「九二年コンセンサス」という概念を強調していた。これは、92年に香港で開かれた海基会と海協会の協議において、両者は中国大陸と台湾がともに「一つの中国」に属すことを口頭で認めたとされる事案をさす。あくまで口頭での確認とされるため、正式な文書に記録されているわけではないが、馬はこの共通見解を基礎に共産党との関係構築を試みたのである。実際、共産党政権はこれに応じ、馬英九政権期には海協会と海基会の間で次々と経済上の協定が結ばれていった。

馬英九

 馬英九政権の対中融和政策の成果として、まずは大陸中国から台湾への旅行客の増加が挙げられる。2008年、台湾は大陸中国からの団体旅行を全面開放し、11年には個人旅行の受け入れも始めた。馬の任期最終年度の施政報告によると、16年1月までに大陸中国からの団体旅行の受け入れ総数は1068万人、外貨収入は5455億新台湾ドルに達し、個人旅行も受け入れ総数340万人、外貨収入507億新台湾ドルにのぼった。また、馬英九政権期には空運と海運による直航便も増加した。09年には中国企業による対台湾投資が解禁される。さらに10年、中台間の自由貿易協定に相当する両岸経済枠組協定(ECFA)が締結され、品目を限定した漸進的な関税引き下げが実施されるとともに、後続協定の交渉も開始された。