たとえば、馬英九はパンダを受け入れる一方で、台湾固有の「台湾黒熊」という動物の保護活動を支持するパフォーマンスも行った。この動物は、ツキノワグマの亜種で、胸の白いV字の斑紋を特徴とする。その野生の個体数はパンダよりも少ないと見積もられており、近年の台湾では台湾のシンボルとして扱われることが増えている。政府は13年末頃から台湾黒熊をモデルにした「タイワン・オーベア」なる広報マスコット(いわゆる「ゆるキャラ」)を提案し、普及に努めている。台湾に旅行される方は、よく意識していれば、空港など公共の場所で目にすることが多いのではないかと思う。
また、馬政権末期の2015年12月には、台湾南部の嘉義県に国立故宮博物院の分館がオープンした。故宮博物院はもともと、清朝の宮殿であった北京の紫禁城を民国政府が接収し、清朝皇室が保有していた美術コレクションを主な収蔵品として、1925年に生まれた博物館である。日中戦争、国共内戦を経て、国民党はその収蔵品から名品を選りすぐって台湾に持ち込み、自らが中華文化の適切な保護者であることを内外に向け訴えてきた。65年には台北に新館が建設され、台湾観光の目玉の一つとなり今日にいたる。
この博物館は、中華文化を象徴する施設であることから、国民党政権下ではきわめて重視される一方、民進党政権は改革を望んでいた。台湾の南北文化格差を縮小するため、南部に故宮博物院の分館を設け、中華文化ではなく広く「アジア」の博物館とする計画は、もともと陳水扁政権期に推進されたものである。国民党はむしろ大陸から持ち込んだ収蔵品の分割に反対する立場だった。それを、馬は政権末期に遂行したのである。分館がオープンしたのは総統選挙の直前の時期であったため、有権者へのアピールの意味合いも強かったのではないかと推測される(家永真幸「馬英九政権の文化政策と両岸関係」)。
蔡英文政権と歴史をめぐる摩擦
16年の総統選挙では、民進党の蔡英文が国民党の朱立倫(1961-)を破って当選した。同時におこなわれた立法委員選挙でも民進党は過半数の議席を獲得し、初めて安定的に政権を運営できる地位に立つことになった。
蔡英文政権は、台湾の経済構造の転換や社会のセーフティーネットの強化などに加え、過去の政治的抑圧と向き合い、社会的亀裂の修復と和解を目指すことを重要な政策課題とした。この課題は、政治学の用語では、非民主的な政治体制から民主的な政治体制へと移行する過程における、「移行期正義」の推進とも呼ばれる。その一環として、蔡は一六年、原住民族に対する過去の抑圧について政府を代表して謝罪し、漢民族中心の歴史観を批判した。また、国民党が過去に不当に取得した資産を調査し没収する、いわゆる「不当党産」処理もおこなった。17年には、過去の国民党による政治的抑圧に向き合い、人権教育を強化するための組織として、国家人権博物館を成立させる。これらの政策は、台湾社会が全体として抱えている課題に正面から取り組むものであったと言える。