一方で、社会のなかには依然として、台湾を中国の一部と見なすか、それとも独立した主体と見なすかをめぐる立場の違いに根ざす摩擦が強く残っていた。その摩擦は、とりわけ台湾住民にとっての「私たち」の歴史をどう叙述するかをめぐって、しばしば深刻な政治的争点として表面化した。
かつて国民党一党支配体制下の台湾では、「台湾」ではなく「中国」を中心に据えた教育が徹底され、当時の若者たち(今も現役世代)の間では何の疑念もなく「中国人」としてのアイデンティティをもつことも一般的だった。しかし、李登輝政権期以降、「中国」を基軸とする教育の転換が図られ始め、1997年には中学校の教科書として『台湾を知る〔認識台湾〕』が導入される。2000年代の陳水扁政権下では、「台湾」を中心に据えた教育のいっそうの推進が図られた。しかし、馬英九政権期の14年に発表された高校のカリキュラム改革では、「中国」の歴史重視への揺り戻しが図られる。この問題は、価値中立的な記述を求める歴史学者らが強い批判の声を上げるなど、大きな反対運動に発展した。蔡英文政権は成立後ほどなく、当該カリキュラムを廃止している。
中国との一体化の歴史観を退ける
これに似た論点として、蔡政権は一16年11月、上述の国立故宮博物院の南部分館の屋外スペースに設置されていた「円明園十二支動物銅像」を撤去した。円明園とは北京郊外に位置する清朝の離宮であり、南部分館に設置されていた銅像は、かつて円明園に飾られていた干支をかたどった十二体の動物銅像のレプリカである。円明園は一九世紀後半のアロー戦争においてイギリス・フランス連合軍によって破壊・略奪を受けており、十二支像の実物はそのときに散逸したとされる。また、円明園自体は中国が過去に受けた屈辱を示すものとして、廃墟のまま残され公園となっている。
南部分館の十二支像は、世界的人気俳優で、中国の統一戦線組織である全国政協委員の肩書ももつジャッキー・チェンが、分館の成立を祝賀して贈ったものであった。チェンには『ライジング・ドラゴン』(2012年)という監督・主演作品があり、かねてより円明園十二支像の問題を中国ナショナリズムと絡めて描いていた。中国では経済発展が進むなかで、海外に流出した古美術品を中国国内に買い戻すことが愛国的な行為と見なされる風潮が生まれ、たとえば巨大企業である保利グループは十二支像のうち牛、猿、虎、豚の四像を入手し、北京市内の保利芸術博物館で展示している。
つまり、馬政権は「中国の屈辱の歴史を大陸と台湾で共有しよう」という強烈なメッセージの込められた贈り物を受け取り、展示したということになる。これに対し、台湾社会からは一部でかなり強い拒絶反応が起こり、分館の開館3日目の15年12月30日には像に赤いペンキがかけられる事件が発生した。蔡政権による像の撤去は、そのような事態を背景にしていたのである。