恋人でなくなったあとには家族のように

 その彼女とは、しばらく経って恋人関係ではなくなった。しかし、縁が切れたりはしないという。

「恋人でなくなったあとに、自分の中では家族のようになることが多いんですよね。性の部分がなくなっても、他の感情は残るから。何かあったら駆けつけるよ、みたいな」

 このように文月さんが話すと、あすみさんがすかさず、「いろんな人の、お兄さんやお父さんみたいになるんですよね」と補足する。

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 あすみさんは、文月さんと他の女性との関係なども、終始ニコニコ楽しそうに話す。文月さんの自由さを、ほとんど気にせず、自然と受け入れているようだった。時には、予期せぬ変化をも楽しむように。

 では、あすみさん自身は、「複数愛を生きる」ことをしないのか。また、嫉妬の感情はないのだろうか。

「そもそもあまり、恋愛をしないんですよ。煉さんが楽しそうなので、自分も他の人とも親密になろうかななどと思ったんですけど、あまり続かなくて。やっぱり、恋愛に興味が湧かないんだな、って思って。可能性としては私も複数愛に開かれているし、煉さんのことも誰かのことも独占する気はないんですけど、自分はあまり恋をしないなって。

 嫉妬とかは本当になくて。煉さんはいろんな人と仲良くしていて、私は人と仲良くするのが得意じゃないなって思うので、羨ましさはあります。でも、羨ましいからやめろみたいには思わないですし。あとはたまたま、自分がとても構ってほしい時に、他の方とのデートが入っていたら、寂しいなとは思う。でもそれは、(デートしたい時に)仕事が入っていて忙しいという時と変わらなくて。一瞬寂しいだけで、後から大事にしてくれるって分かるし。

 煉さんへの取材とかで、『奥さんがすごいんですね』とかたまに言われたりして。『許しててすごいね』とか。それには結構、違和感があるんです。

 単数愛の人は、『私を優先するのが当たり前でしょ』『どうしてあの子と遊んでるの』って主張するイメージがあります。でも自分は、『気にせず行って来なよ』って言える自分がいいというか、そう生きていたいという気持ちなんですよね。〈生きたい形〉が違うというか。

『許す』というのにも違和感はあります。そもそも自分が『許さない権利』を持っているとも思っていないんですね。法的には、私が民事で訴えれば、Ẃさんやメタモアの方から、慰謝料などを取れることになっていると思うんですけれど。その権利を、私は使いたいとは思わないんですよね。安心して仲良くしてきてね、『許さない権利』は放棄するから、みたいな。そのために結婚したわけじゃないし。

 世の中には、本音が言えない人もいると思いますけど、私は構ってほしい時は、自分で言うので。我慢する苦しみ、みたいなのはないですね」