新聞社に勤めながら、個人で取材活動を続けるジャーナリスト・青木美希さんが、ライフワークとして取り組んできた原子力発電所の問題。関係者を訪ね歩き、過去の文献や報道も徹底検証してまとめた『なぜ日本は原発を止(や)められないのか』(文春新書)が反響を呼んでいる。
東日本大震災で起きた福島第一原発事故を契機にドイツやイタリアが「脱原発」に舵を切る一方、依然として地震リスク、津波リスクの高い立地に数多くの原発を抱えている日本は、稼働中原発の使用年数を実質的に延ばす法改正など「原発回帰路線」を推し進めている。
あのような未曾有の災害、悲劇を経てもなぜ、この国で原発はかくも優遇されるのかーー。
父も祖父も、電力関係の仕事をしていた。子供のころから関心があった
ーー青木さんはこの作品について、「はじめに」で「私が記者として勤めてきた3つの報道機関の社益を離れ、30年かけて一人の人間として聞き歩いてきた、その集大成である」と書いています。
青木 私の祖父と父は、電力関係の仕事をしていました。祖父は原発を導入する前の電力会社に勤めていて、父は新しいエネルギーの開発に携わる大学教授でした。そんなこともあって、実は子供のころから、エネルギーとはどういうものなのか、石油資源のない日本はどのようなエネルギーでやっていくべきなのかを自然と考えるようになっていました。学生時代も、そして大学を卒業して新聞記者になってからも、この問題は個人的にずっと追い続けてきました。学生のときに知り合ったエネルギーの研究者をはじめ、これまで100人以上、被災者を含めると数百人を超える関係者にお話を伺ったと思います。
意見の異なる人たちにも、もちろん話を聞きました。ときに怒鳴られながらも取材を続け、原発推進派の重鎮や官僚も、次第に実態を打ち明けてくれるようになりました。たくさんの人たちの証言を手がかりに、書き上げた一冊です。
原子力ムラが作った「安全神話」、その歴史と成り立ちを訪ね歩く
ーー書影を見ると、帯には〈「安全神話」に加担した政・官・業・学そして、マスコミの大罪!〉と書かれていますね。
青木 戦後の日本では、1956年に当時の総理府に原子力委員会が設置されて以降(現在は内閣府に設置)、1966年の東海原発の運転開始、1971年の福島第一原発の運転開始、と原子力政策が進んでいく過程で、原発安全神話が形成されていきました。私たちも、原発の危険性は知っていても、いつの間にか「原発はすごく大きな力で動いている。すぐに止められるものではない、しかたがない」といった受け止め方をするようになっていた。でもこの考え方は明らかに神話の影響で「そう思わされている」に過ぎない。本当にこの考え方しかないのか、本当にこの選択肢しかないのか、という疑問を解きほぐすことが本書の大きなテーマの一つとなりました。