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妻は指を切り落とされ重傷、夫は全身13カ所を切りつけられて亡くなった

(ラージ)氏は応じる様子もなく、「おまえたちの来る所ではない。さっさと立ち去れ」と言い放ち、二、三押し問答をしながら戸外へ押し出したが、賊はもはやこれまでと思ったか、同氏めがけて無二無三に切りかけた。頭部をはじめ胸、肩、背中、腕あるいは手先など計13カ所に重傷を負わせたため、どうしてこらえることができよう。そのままドウと廊下へ倒れ、無残な最期を遂げた。

 

 夫人シイ・エ・スペンサア・ラアーヂ氏(35)=同女学校長=は最初から部屋の片隅にひそんでいたが、夫が賊に斬殺されたのを見てさらに驚いて走り出ようとするのを見て、賊は女性の右の額にかすり傷を負わせたうえ、なお切りかかる刃に(夫人は)右の中指と人差し指を切り落とされた。こうした騒ぎに構内の寄宿生二百余人は教官舎が火事になったのだろうと一同、声を出して飛び起き、駆け付けてきたため、賊は慌てうろたえ、1人ははしご段を踏み外して転落。何一つ奪えず、いずこともなく逃げ去った。

 名前も、当時はアルファベット表記がなかったこともあって、新聞の記述は非常に不正確だ。『東洋英和女学院百年史』によれば殺害された夫は「Thomas Alfred Large」、つまり「T.A.ラージ」が正確な表記。女性の方も同書に従えば「Eliza Spenncer Large」(E.S.ラージ)。「Spencer」は旧姓を残したものだった。以後、文中では夫をラージ、負傷した妻をイライザと表記する。

イライザ・スペンサー・ラージ(『東洋英和女学院百年史』より)

 時事新報の記事は警察の捜査に進む。この書きぶりからは、警察も新聞も捜査がそれほど難航するとは見ていなかったことがうかがえる。

「捜査員は活発に奔走」「近いうちに逮捕されるだろう」

 訴えからその筋でも容易ならぬこととしてすぐに非常線を張り、逮捕に手を尽くした。警視庁からは三橋二局長、山田警察本署長、赤羽麻布警察署長はじめ警部、巡査ら十数名が現場に出張。東京軽罪裁判所からは小林予審判事が横山検事、清水書記を従え、臨検のうえ、遺体は家族へ引き渡し、夫人は日本駐在の英国公使館付き警官の介護を受けることになった。

 

 警視庁と外務省の連絡も昨日朝以来頻繁で、ラージ氏を知る内外の人々は学校を訪れて弔意を述べるなどしているため、取り込んでいるという。捜査員は活発に奔走しているので、近いうちに逮捕されるだろう。曲者の1人は年齢22~23歳で中肉中背、顔は長め。もう1人は26~27歳で背は低い方。服装ははっきりしないが、2人とも黒の回し合羽を着て襟巻きで顔を包み、浅黄色のももひきに白足袋で仕込み杖を持っていたという。

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 同じ6日付の他紙では郵便報知がかなり詳しく、現場の学校と被害者について次のように書いている。