「ウチは、落語協会と落語芸術協会が交互に出ます。いま、落語協会の方でお客さんを引っ張れるのは(柳家)喬太郎と(春風亭)一之輔。そして芸協では伯山の師匠でもある神田松鯉先生と、伯山の時は大入りになります」
一方で、末広亭は新しい取り組みにも積極的だ。現在のX、ツイッターは2016年9月からアカウントを開設、その日の代演を告知したり、整理券の発券状況などを知らせたりと、「観客目線」の展開をしてきた。
さらに12月6日からは、落語の高座が見放題のサービス、「ぴあ落語ざんまい」がスタートしたが、これは末広亭が協力している。
「コロナの最中にね、(古今亭)菊之丞と(柳家)花緑が間を取り持ってくれて、ぴあの矢内廣社長を紹介してもらった。矢内さんは俺と同い年でね。落語好きで『いろいろ協力しながらやっていきましょう』と言ってくれて、前売り券を導入したり、今度の見放題にも協力させてもらって、展開が広がってきました」
「談志は高校生の時から末広亭に通ってきててね」
時流に合わせて手を打ってきているが、根底にあるのは芸人への愛情と批評である。
1950年生まれの真山席亭は、「じゃりの頃から落語に講談、節(浪曲)、色物となんでも見てきましたよ」と話す。つまり、半世紀以上にわたって日本の寄席演芸の盛衰を間近で見てきたことになる。
いまも大きな影響力を持つ立川談志が柳家小さんに入門するにあたっては、真山氏の父(真山恵介氏)が仲立ちをしたという。
「談志は高校生の時から末広亭に通ってきててね。それでもって『噺家になりたい』ってウチの親父に相談したんですよ。ウチの親父が『誰の弟子になりたいんだ?』って聞いたら、『小さん師匠』っ言うもんだから、ふたりをつないだって話です。それで、弟子入りして柳家小よしになった。談志は目蒲線――いまは多摩川線っていうのかーーの鵜の木、ウチは池上線の久が原に家があったから、よく遊びに来てたよ」
真山氏の話は、そのまま戦後落語史の一部となる。戦後を彩った「名人」の高座の記憶も鮮明だ。