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――どうしてですか?

佐々井 ひとつはあちこちに寺を作ったからだよ。俺が半世紀以上も前にナグプールに来た時は、寺がまったくなかった。だから貧しい仏教徒と共に各地に寺を建て続けた。寺といっても日本のように立派なものじゃないがな。

――私が5年前に取材した時も、地方ではガラス窓もドアもない吹きさらしの掘っ立て小屋のようなお寺もありましたね。

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佐々井 そんな簡素な建物だって、礼拝がてら朝夕に地域の住民がいつも顔を合わせるから、何か困ったことがあればみんなで話し合う。団結して高カーストに抵抗するようになったんだ。

「いくら貧乏でも道からそれず真面目なんだよ」

――普段から交流があれば相談しやすいかもしれません。

佐々井 そうだ。日本の若者は、日本国憲法なんて学校以外で勉強してないだろう。でもインドの仏教徒は、アンベードカル博士の作った憲法を大切に思っている。理不尽なことを言われたら法律に従って言い返す。勉強熱心だから、いくら貧乏でも道からそれず真面目なんだよ。お父さん、お母さんを楽にさせたいとか、弟、妹を学校に進学させたいとか目標がある。だから就職すると自分の金を無駄遣いしないんだ。

――貧しくても、子供でも、まわりの人のことを考えるんですね。耳が痛いです。

佐々井 だいたいの寺には日曜学校があってな。私のいるインドラ寺なんか、青年会や学生会の若者が小さい子どもを集めて「仏教のお経はこう、お釈迦様の教えはこうだ」と自分たちで学びの場を運営している。

――インドの若者は勉強熱心ですね。

佐々井 もちろん金が入ると、酒を飲んだり、博打を打ったりする人がまだインドにはいっぱいいるんだ。それで困ると勉強もせず、ただ神様に「助けてください」って盲目的に祈るだけ。

 今の仏教徒も改宗する前は、ただ同じように神に泣いてすがっていたわけだ。でも仏教の教えは本来、「自分で学んで、自分で努力しよう」というものだから、寺に通っているうちに少しずつ変わっていった。

 アンベードカル博士の教えを学んで、自分は1食抜いてでも子供を学校に行かせようとする親の背中を見ていたら、子供は落第なんかできないよ。ちょっと前までは大学入試も賄賂が横行していたけれど、今、インドは実力だよ。差別はまだまだ残っているけれど、元不可触民でも大学へは行ける時代なんだ。

――アンベードカル博士の言葉が民衆に生きているわけですね。

佐々井 そうだね。アンベードカル博士が、ものすごい教訓を残しているからね。まあ、彼は大菩薩であり、インドを救った救世主だ。不可触民だけじゃなくて、各階層のいろんな人を救ったと思うよ。