――カーストのない日本で生活していると、「自分が人間である」のは当たり前だと思って生活しているのでピンとこないのですが、インドの仏教徒にとっては大きな変化なんでしょうね。
佐々井 そうだよ! 3000年も昔から、「お前たち(不可触民)は人間じゃない」と、犬以下の扱いだったんだから。泥水をすすり、残飯を食べてね。しかしまだまだ仏教徒は貧乏だから向かう敵は多い。道は無限なんだ。でもインドの仏教徒の若者は目が開いている。政治家の欺瞞もよく分かっているし、仏教を熱心に勉強しておる。だから俺が死んだ後もなんとかやっていくだろう。
――佐々井さんにはインドでやるだけやったという満足の気持ちはありますか。
佐々井 ああ。インドに56年おって、アンベードカル博士の遺志を継いでやってきた。もう俺は88歳だ。常に調子が悪いし、いつ死んでもおかしくないが、なんとか仕事ができているのは、やはり龍樹菩薩とアンベードカル菩薩が守ってくれるからだろう。先日、高尾山の師匠の墓の前で「インド仏教は復興しました!」と大きな声で額ずいて報告したんだ。1人でやったという意味じゃない。一切の坊さん、一切の民衆と歩いて、ともに到達した心境だ。
宗教とは人を救うためのもの
――最後に佐々井さんにとって宗教とは何ですか?
佐々井 俺は今だって、畜生界と十界を歩いている。だが、坊さんは人間でありながら、人間ではない。世の中を助け、若い人を助ける存在でなければならないんだ。そう思ってやってきた。
世界のあちこちで戦争が起きているが、そのニュースを聞くたび、本当に嫌になる。人の殺し合いは絶対に反対だ。都市も何もかも破壊する。世界の指導者は何をしておるのだろうな。第二次世界大戦が起きた時、俺の高尾山のお師匠さんは戦争反対を叫んで、500日間も牢屋に入れられたんだ。獄中で殺された人もいたから死も覚悟していただろう。その師匠の背中を見ていたから、どんな苦しいことがあっても耐え忍んでいかなきゃと。最後の最後に息ができるまで、いつでも命を捨てる覚悟でやっている。
宗教とは人を救うためのものだ。生命を尊重し、友達のように、お互いに上下なく、差別もなく皆が生きて仏国土を作る。それが宗教の本丸だ。聖徳太子は仏教を元にしてあの素晴らしい憲法を作ったんだから。
――ありがとうございました。