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「インドが俺を人間にしてくれた」女を捨て成功者を妬み、三度の自殺未遂を経てインド仏教を復興させた“日本人僧”佐々井秀嶺が語る「今こそインドに学ぶこと」

佐々井秀嶺インタビュー#2

2023/12/31
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インドが俺を人間にしてくれた

――佐々井さんはインドの人に対してどういう気持ちで接していたんですか?

佐々井 「俺はインド人に教わる」という姿勢でここまで来たんだ。「教えてやろう」「導いてやろう」なんて、一度も思ったことはない。だって、先ほど(前編)も言ったけれどインドに来る前の俺は人間じゃなかったんだから。俺はかつて女を捨て成功者を妬み、3度の自殺未遂を起こすような泥だらけの最低な人間失格者だったんだ。

 だから人を教えるとか、そんなたいそうなことができる人間じゃ元々ない。人間の敗北者で、世紀の苦悩児で、永遠の求道者なんだ。だからインド人の言うことを素直に聞かにゃいかんと。

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――ナグプールは仏教徒の多い街ですが、安全だし優しい人が多いですよね。私もノンフィクション(『佐々井秀嶺、インドに笑う』文藝春秋)の取材中、よく信者の方に助けてもらいました。

ナグプールの仏教徒が暮らすエリア。ゴミは落ちておらず治安も良い(写真提供:白石あづさ)

佐々井 今はきれいな街に変わったが、半世紀前に俺が来た時はひどいスラム街だったんだ。石を投げられ、犬に吠えられていたが、地域の仏教徒と寺を建てるための土木工事で一緒に汗を流したり、水爆実験反対のデモでデリーに行ったり、そうした活動を通してお互いに尊敬しあい、信頼されるようになった。

 こんな俺がなんとかやってこれたのもインドが俺を人間にしてくれたからだ。何しろ一文無しの乞食坊主に食事を供養(寄進)し続け、88歳になるまで生かしてくれたのはインドの人々なんだ。

 そして気が付けばインド仏教の最高指導者と呼ばれるまでに押し上げてくれた。その恩にむくいるために、暗殺者に突き落とされたり、毒を飲まされ血を吐こうと帰国しなかった。女もいらん、金もいらん、家もいらんと、3本立てでやってきたんだ。

年に1度の大改宗式の夜。インド中からナグプールに仏教徒が集まる(写真提供:白石あづさ)

今、インドで「不可触民」といったらいけない

――先ほどインド仏教徒の意識も大きく変わったとおっしゃっていましたが、最近さらにまた進歩したと感じることはありましたか?

佐々井 知ってるか? 今、インドで「不可触民」といったら逮捕されるんだよ。これは差別用語だから。この間インドに日本人が来て「不可触民はどこにおるんですか? 部落をちょっと見たいんです」と仏教徒に聞いたらしいんだ。そしたら警察に連絡されて捕まったらしい。「仏教徒」という言葉を使えば逮捕されないが、「不可触民」は「触ると穢れる民」という意味だから、インドでは差別用語なんだ。

 昔は何を言われようが、差別されるのが当たり前でただ耐えているだけだったけれど、仏教徒は「俺たちも人間である」とそれだけの自尊心を持てるようになったんだ。だからその話を聞いた時、嬉しさが俺の胸に込み上げてきたんだよ。本当の意味でインド仏教が再興したんだと。

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