「なぁーんだ、こんな人間も生きていいんだ(笑)。これでいいんだ。かなり人生が楽になりましたよね」
上京してきたばかりだった無名時代のタモリさんの生活を支え、ときには人生観も変えた、あるギャグ漫画家の正体とは? ライターの戸部田誠(てれびのスキマ)氏の書籍『タモリ学』(イースト・プレス)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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タモリが語った居候論「卑屈な態度をとっちゃダメ」
そしてタモリは赤塚不二夫に出会う。
タモリがバーで常連客相手に芸を披露しているところに、赤塚が入ってきた。
「大学のときに『天才バカボン』が出て驚いたんです。こんなバカなことやっていいんだ、こんなバカなこと書いて出版していいんだ、ありなんだ」(『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー 2000)と衝撃を受けた漫画を描いた本人が、目の前に立っているのだ。ことの重大さに緊張すらできなかった。
赤塚はタモリの芸を絶賛、福岡に帰してはならないと思い「お笑いの世界に入れ」と誘った。8月に放送される予定の自分の番組に出ること、さらに「それまで住むところがないなら、ぼくのマンションにいろ」と。
そこは当時でも家賃17万円、4LDKの高級マンションだった。冷暖房完備、台所にはハイネケンのビールが山積みにされ、服も着放題、しかもベンツも乗り放題、小遣いまで与えられた。そこにタモリは毎晩のように友人を呼び宴会をして贅沢三昧を繰り広げた。
当初タモリは「あの赤塚不二夫だから、別に住むところがあるのだろう」と思っていた。しかし実際には赤塚は、狭い仕事場でロッカーを倒しベッド代わりにして寝泊まりしていたのだ。
赤塚は自分の洋服をとりに行く際もタモリに気を遣い、「今から行ってもいいでしょうか?」と事前に電話をかけていたという。
タモリは「日本史上、最後の居候。あれ以降、俺の後に居候はいないね」と笑う(『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー 2000)。史上類を見ないセレブ居候だ。
そんな居候生活が半年を過ぎた頃、実は赤塚が仕事場で寝ていることに気付く。そこで「もう出ます」と言おうかどうか迷ったという。しかし「せっかくの好意が、グチャグチャになっちゃあいけない」(『今夜は最高!』タモリ/日本テレビ放送網 1982)と思い、さらに福岡に残してきていた妻を呼び寄せ、ふたりで居候を続けた。