「俺の人生の扉、ドアはあのホテルのドアだった、あれを開けると開けないじゃ、人生は変わってた」
タモリさんを一般人からトップタレントに変身させるきっかけを作った、ある宴会、そして恩人との出会いとは? ライターの戸部田誠(てれびのスキマ)氏の書籍『タモリ学』(イースト・プレス)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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人間はわからないことに興味を持つ
「われわれがテレビの世界に憧れたのは、たとえば『11PM』で(大橋)巨泉さんがわけのわからないことを言っていたからなんです。僕らは高校とか中学だから、わからないわけです。その『わからないこと』に興味を持つんです。わからないことは必要以上に説明しなくてもいいんです。むしろ、わからない世界でテレビをやったほうがいい。『なんだろう』『大人になったらわかるかもしれない』と思って興味を持ってくる。わからないことに、人間はよく興味を持つんです」(『ことばを磨く18の対話』加賀美幸子・編/日本放送出版協会 2002年)
『テレビファソラシド』でも共演した加賀美幸子と行った2000年の対談で、タモリはこのように、昨今のテレビ番組の「わかりやすさ」に拘泥する傾向に疑問を呈している。
タモリがジャズにハマったのも、またその「わからなさ」からだった。
子どもの頃、両親は福岡の下町で商売をやっており、そこで母親は仕事中にもジャズを流していた。父親は父親でフラメンコに夢中で、さらに姉はクラシックのピアノをやっており、タモリ自身も民族音楽などを聴いていたという。そして高校生の時、近所の後輩の家でアート・ブレイキーの一枚を聴いた。
「何がなんだかわかんない。こんなわけのわかんない音楽聞いたのははじめてで、とても癪にさわったんですね。俺にわからない音楽なんてないと思ってましたから
ね。それじゃあ根性入れて聞こうということになって」(『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー 2000)
そしてジャズに傾倒していった。ちなみにタモリは1984年に『いいとも』でMJQとトランペットで共演、アート・ブレイキーの代表曲でもある『ナイト・イン・チュニジア』を演奏している。
現場に立ち会ってる興奮
タモリはジャズの魅力を「目の前で『音楽ができ上がっていく』、その現場に居合わせられる」ことだと語っている。
「その場ででき上がったライブも、その場かぎりで、終わり。次の時にはまた違うって音楽はね、ジャズだけ」(「こんどの『JAZZ』、どうする?」『ほぼ日刊イトイ新聞』 2007年)
またタモリは『いいとも』のいわゆる「放送終了後のトーク」を、ジャズのセッションになぞらえている。