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「卑屈にならない」、それが居候の秘訣だとタモリは言う。

「居候というのはね、卑屈な態度をとっちゃダメなの。俺も、ロッカーで寝てるというのを見てる、申し訳ないと思う。普通の人は『変わりましょう』と言うんだけど、言っちゃダメ。そこで言うと見くびられるから、堂々としてなきゃ」「『おまえはすごいぞ、俺を見つけたんだからおまえすごい!』そう思わせないと向こうも、『なんでこんな奴にお金かけてやってるんだ』って、『出て行け』ってことになると思うんだよ」(『SMAP×SMAP』フジテレビ 2006・4・17)

 そして結局、9カ月にわたりタモリは赤塚邸に居候を続けたのだ。

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 赤塚不二夫自身は『徹子の部屋』(1981年)で、なぜそんな居候をさせたのかと黒柳徹子に尋ねられた際、「僕は才能に惚れたんだよね」と答えている。

 一方タモリは「才能」について、独特の考えを持っている。

「才能っていうと、すごく偉いように聞こえますが、持って生まれたものです。努力して勝ち得たものじゃないですから、あまり価値のないものです。あまり人に誇れるものじゃない」(『ことばを磨く18の対話』加賀美幸子・編/日本放送出版協会 2002年)

 タモリは赤塚邸を出発点とし、その天賦の才を遺憾なく発揮していく。

 のちにある公開対談で赤塚不二夫に、「さんざん面倒見たのに一度も礼を言わない」と冗談交じりに言われたタモリは、こう返した。

「みんな俺の才能に勝手に魅かれて親切にしてるんだから、そんなヤツらにいちいち礼を言ってられるか!」(「クイック・ジャパン」Vol・41/太田出版2002・02)

これでいいんだ。人生が楽になりましたよね

 赤塚不二夫とタモリは、ある時は広い岩風呂で、素っ裸のままイグアナの形態模写に興じた。何も知らない客が入ってきてもお構いなしに、洗い場を這いまわったり湯船に飛び込んだりしていた。

 またある時は零下12度の雪降る庭で、全裸になって足を組み平気な顔で週刊誌を読んだり、赤塚はそれに飽きたらず火のついたロウソクを突っ込んだお尻を高くあげ、後ろ向きに歩き爆笑を誘ったりもした。

「なぁーんだ、こんな人間も生きていいんだ(笑)。これでいいんだ。かなり人生が楽になりましたよね」(『赤塚不二夫対談集 これでいいのだ。』赤塚不二夫/メディアファクトリー 2000)

 そんなタモリの芸を「恐怖の密室芸」と名付けたのは、詩人で「ジャックの豆の木」の常連だった奥成達。その芸の多くは、酒場で出される友人たちのリクエストを、タモリが即興で演じたものが土台となっている。初期の代表的な芸である「四カ国語マージャン」も例外でなく、それは山下洋輔のリクエストだった。

「外国語で遊ぶのは前からいろいろやってたんですけど、飲んでるうちに、山下さんが『四か国の人間がマージャンをやってて、だれかがチョンボをしてケンカになるのはどうかな』と言い出した。『あ、それは面白い。やってみましょう』というんで、その場でやったやつなんです。そんときもエライ受けたんで憶えてるんですけど。とにかくその頃は、なんでもリクエストにお応えしてやってた(笑)」(「広告批評」マドラ出版 1981・6)

 誰よりも山下洋輔が喜んでいるとなぜか嬉しかったと、タモリは述懐している。