2020年4月、兵庫県尼崎市のとあるアパートで、室内の金庫に3400万円を残して孤独死した「タナカチヅコ」さん。住所も名前もわからない身元不明の死者「行旅死亡人」として官報に掲載されていた彼女は、いったい何者なのか?

 ここでは、取材をした共同通信記者、武田惇志さんと伊藤亜衣さんの共著『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)より、一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目に続く)

写真はイメージです ©iStock.com

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メモを取る手が追いつかない

 パソコン画面越しの太田弁護士はマスクのせいで素顔が見えなかったものの、関西弁の心地いいイントネーションもあってか、親しみやすそうな雰囲気を感じた。少なくとも、マスコミ相手にネタを誇張して自分の名を売り込もうとするような人物ではなさそうだ。

 通り一遍のあいさつを交した後、私はすぐに本題に入ろうとしたが、「自分は現在、家庭裁判所の指揮下で動いているから、記事にする際は相談してほしい」と最初に釘を刺された。それぐらいの条件で済むなら当然、吞むべきだろう。承諾し、太田弁護士が口を開くのを待った。

「タナカさんはね、官報に出ていた錦江荘っていうアパートに長いこと住んどるんですよ。どのくらいかというと、昭和57年(1982年)3月からですから」

「かれこれ、40年ぐらいですかね」

「ええ。せやのに、住民票がなくなってて。名前と住所が書いてある年金手帳は自宅から見つかったんですが……」

 年金手帳には氏名が「田中千津子」とあり、「昭和20年(1945年)9月17日生まれ」

 となっていた。

労災事故、広島、沖宗、3人姉妹…次々に開陳される事実

 田中さんがおよそ40年も同じ住居に住んでいたというのは、転勤族の記者からすると驚きである。アパートは名前からして古めかしいし、長い老後を暮らすのに居心地が良いとは思えない。あれだけの大金があれば引っ越し先だって容易に見つかるはずだ。それに、住民票がなくなっているとはどういうことだろう。疑問が次々と浮かんだが、まずは一番気になっている右手指の欠損について尋ねた。

「労災事故で右手指を失くされたんです。ただ、治療した病院でカルテがあったのもわかっているのに、本籍地がわからないから、死亡届が出せないんですよ。だから氏名不詳になっているというわけで。

 40年近く同じところに1人で住んでいて、最後は亡くなっている。ようけ金庫の中に現金入れて、ですよ。でも、どこの誰だかわからない。

 こちらで調べると、広島のご出身かもしれないんですね。部屋の片付けを丁寧にしたら、印鑑が出てきまして。それが、『沖宗』という印鑑。オキムネと読むと思うんですけど、たぶん旧姓じゃないかなって。すごく珍しい名字で、全国にも何人かしかいないんですよ。ネットで調べたら、広島に多い名字だということでした。

 警察もそのへんは調べたらしいんですよ。労災事故で治療した病院のカルテで、医者だか看護師だかと話したメモが出てきて、その中にも『自分は広島出身で、3人姉妹』やと話していたそうです」