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 次第にメモを取る手が追いつかなくなってきた。労災事故、広島、沖宗、3人姉妹……。

 次々に開陳される事実をメモするのに手いっぱいで、口を挟む余裕もなかった。

大家も姿を見たことがない男の存在

「錦江荘に入居した、昭和57年(1982年)当時の賃貸借契約書も残っていて、それにはタナカリュウジ、『田中竜次』(仮名)さんという名前で契約しているんです。錦江荘の住所に、借り主としてです。勤務先も書いてあるんですが、今はなくなっていて、たどり着けない。住民票もなくて、田中竜次さんがいつ死んだのかもわからない。

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 それにね、錦江荘の大家が93歳の女性で、アパートの1階で暮らしておられるんですが、何十年も前から、田中千津子さんはお一人で暮らしていたと言っているんですよ。『竜次さんなんて、おらんで』って。ずっと1人だと。

 家賃は毎月、手渡ししていたそうなんですが、竜次さんなんて見たことないと言うんですね。契約した昭和57年当時は、大家さんのご主人がご健在でいらしたから、『主人が契約したときには、竜次さんっておったんかなあ』と首をかしげている。なんでこんなことになるのか、僕も非常に疑問です」

 だんだん不気味な話になってきた。

 田中千津子さんがアパートに入居した40年前には、夫かどうかは不明ではあるが、とにかく男性がいたようである。それにもかかわらず、すぐ下の階に住んでいる現在の大家は男性の姿を見たことがないというのだ。そんなことはありえるのだろうか。

「田中千津子」さんと思われる女性の写真(『ある行旅死亡人の物語』より)

部屋に残っていた労災申請の書類から病院を辿ると…

「身元なんですけど、労災事故の線からはたどれなかったんですかね?」

「製缶工場でアルバイトしていて、このときに指詰めの事故に遭われたのはわかっているんですけどね。この会社ももう、廃業していて存在していないんです。住所地は更地になっていました。地主でもあった経営者も、登記簿上の住所にはいらっしゃらなくて、尋ねあたらへんのです」

「そもそも労災に遭ったのはどうしてわかったんです?」

「平成6年(1994年)の4月に、指が機械に挟まれたという労災申請の書類が部屋に残っていたんです。

 それで、刑事さんも労災病院へ電話をかけてくれてて、さっきのカルテの話が出てきたそうなんです。『23歳まで広島にいた』との話もあったそうで。そこまでわかってんのに、たどり着かへんのですよ。どこの誰だかわからない。本籍地がわからない。それになんで住民票がないんか、変やないか。だって、労災の保険金だけで1000万単位のお金が出るはずでしょう。変でしょ、住民票さえあったら毎年もらえんのに」

 確かに、奇怪きわまりない話である。

 太田弁護士も話しながら、あらためて不思議さを嚙みしめているようだった。