〈店は開けたしコロナは怖し、ワクチン打たねばなお怖し〉で始まる「コロナ追分」は、コロナ禍の自粛ムードを徹底的に揶揄。〈文学やるなら常識捨てて、世間の糾弾身に引き受けて、何でも書くのがまともな作家〉という一節は、作家が貫いてきた姿勢そのものだろう。
「これはコロナの最中に書きました。今はエンタメ系の雑誌はこういう不謹慎なものは載せてくれなくなりましたが、私は純文学のほうに半身を移したのがよかったのかもしれません。エンタメだ純文学だと区別はしたくありませんが、文学というのは書いてはいけないものを書くためにあると思っています」
「川のほとり」は、食道がんで亡くなった一人息子・伸輔さんとの夢の中での対話を描いた感動の一作で、反響も大きかったというが、「これはね、作り話です。読者に『泣きました』なんて言われると、こちらはしてやったりです」と語る。「本当の悲しみってのは、こんなもんじゃないですよ。もっと深いもんです」
最後の一篇「山号寺号」はタイトルの通り、落語でお馴染みの言葉遊びだ。
「雑誌から依頼があった時に『もう何もありません』と一旦は断ったんですが、しばらくして、山号寺号はまだやってないぞと気づいたんです。これは簡単に見えて、結構難しいんですよ」
小説はこれで最後だというが、今後もエッセイなどは書き続ける。
「小説を書いているあいだは幸せですよ。現実の嫌なことから逃れるために自分の小説世界へ逃げ込むんです。引きずりこまれた読者のほうは、迷惑でしょうけどね(笑)」
1934年大阪市生まれ。65年、初作品集『東海道戦争』刊行。『虚人たち』で泉鏡花文学賞、『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、『朝のガスパール』で日本SF大賞、『わたしのグランパ』で読売文学賞、『モナドの領域』で毎日芸術賞受賞。