昨今何かと話題の多いロシアだが、ソ連/ロシアという国家を、建築史の観点から展望する画期的な良書が刊行されている。『革命と住宅』の著者は岡山大学准教授の本田晃子さん。本書は二部構成となっており、前半の「革命と住宅」では実際にソ連の人々がどのような家に住んできたかを年代順に追っていく。後半の「亡霊建築論」では、ソヴィエト宮殿など、重要な国家プロジェクトにも拘わらず実現されなかった“アンビルト建築”の数々を俎上に載せ、現実と理想という二つの方向からソ連/ロシア建築史が繙かれていく。
「2019年から電子批評誌『ゲンロンβ』で連載を始めました。当初は現存するソ連時代の団地を訪れ、住人にインタビューするという計画もあったんです。しかしすぐにコロナ禍が始まり、ようやく収束するタイミングで今度はウクライナ侵攻が始まりました……本当に残念でなりません」
ソ連の住居というと、一般的には団地がイメージされるかもしれない。本書によれば、一口に団地と言っても「フルシチョーフカ」「ブレジネフカ」などその時々の指導者の政治方針と連動して様相は変わってくるそうだ。特に印象的なのは1920年代に登場する「コムナルカ」と呼ばれる住宅様式。一つのアパートに複数世帯が押し込められ、共用のキッチンやトイレを順番に使う生活だった。
「資本主義の国であれば、貧富の差や職業の種類によって、住む場所や地域は自然と限られていきます。しかしコムナルカの場合は『住宅ガチャ』の状態で誰にどの住宅が割り当てられるのかわからない。普通であれば接点のなさそうな大学出のエリート層と、中央アジアからの移民労働者が同じ建物に住む、というようなことが起こりました。まだレーニンが生きていた頃は、同じ空間で生活することで集団的なマインドを形成するという、理念に基づいた実験をしていたとも言えるのですが、指導者がスターリンになると、密告社会を背景にコムナルカは相互監視的な空間になっていってしまいます」
何かと理念が先行するのがソ連の特徴のようだ。資本主義的な「家」の解体を目指した「ドム・コムーナ」というコミューン型集合住宅が登場するのもソ連初期。家事や育児も公共化され、家族の枠組みを超えた集団での共同生活が求められた。
「今の日本は、家族の構成員の数が限界まで減り、子育てや介護を家族の中だけで担うのは不可能になっています。むしろドム・コムーナ的な住宅、家庭の機能を公共化した住宅が求められているようにも思いますね。いわゆる『サービス付き高齢者向け住宅』は現実にありますが、資本主義も行きつくところまで行きつくと自然と家族が解体され、社会主義の初期段階に近づいていくというのは皮肉なことのように感じます」
本田さんの専門はアンビルト建築であり、ゆえに「亡霊建築論」にはこれまでの研究の知見が詰め込まれている。ソ連という国家を考える上でアンビルト建築は重要なものなのだという。
「建築の計画が潰えるということはどこの国でも起こりますが、ソ連の場合は絶対に失敗してはダメなはずの一番重要な国家的プロジェクトでそれが起こるんです(笑)。なので、建てられた建築だけを見ていてもソ連建築史は理解できません。宮殿の上に100メートルのレーニン像を建てる計画など、およそ実現できなそうなものもあり、そもそも高邁な理念は現実になってはいけないという無意識が、どこかで働いていたようにすら思えます」
ほんだあきこ/1979年、岡山県生まれ。岡山大学社会文化科学研究科准教授。東京大学大学院総合文化研究科修了。博士(学術)。専門はロシア建築史、表象文化論。著書に『天体建築論』(2014年)、『都市を上映せよ』(2022年、どちらも東京大学出版会)などがある。