失踪した恋人を探し、彼女の住むアパートを訪れた私。そこで遭遇した隣人を名乗る男は、初対面のはずの私の素性に詳しくて「彼女の行方を知っている」と語る。隣人はいきなり自身の半生を聞かせてきて、それは〈耳もぐり〉という秘技にまつわる話で――。
「日常的な風景から始まって、途中からだんだんと非日常的な出来事が起こってくる。そして最終的に、存在そのものを揺るがしてしまうような“どこか”まで行ってしまう。意識しているわけではないけれど、結果的にそういう物語ばかり書いてきました。今回の作品集でもそこは一貫していますね」
そう語るのは、このたび最新刊『禍』を上梓した小田雅久仁さんだ。一昨年、9年ぶりの単行本として刊行された『残月記』は本屋大賞にノミネートされ、吉川英治文学新人賞と日本SF大賞をW受賞。大きな話題となった。
それに続く本書は、デビュー以来10年以上にわたって書き継いできた「食書」「耳もぐり」「喪色記」「柔らかなところへ帰る」「農場」「髪禍」「裸婦と裸夫」の7篇を収録。小田さんも「なかなか納得できるレベルの作品がたまらず、時間がかかってしまった」と言う、まさにキャリアの集大成といった一冊だ。
冒頭に引いたのは、収録作品の一つ「耳もぐり」。
「僕がデビュー後、初めて文芸誌に載った作品が『耳もぐり』でした。ファンタジー特集のために書いたものでしたが、出来上がったのはファンタジーというより怪奇小説だった(笑)。そこでは、人間の耳をモチーフに使っていました」
本書を読み進めると、収録作品に共通するテーマがあることがわかってくる。
「それから、一冊にまとめるために他にどういうものを書いていこうかと考えたとき、“体の一部をテーマにした怪奇小説”だと思い付いたんです」
収録作品「農場」の主人公は、〈ハナバエ〉なるものを栽培する農場で働くことになった男。彼がそこで目にしたのは、赤黒い液体で満ちた巨大なタンクの中を回る、何百、何千もの削がれた人間の鼻だった。
「鼻にまつわることで何が嫌かと考えたら、それはやっぱり削がれることだと。でも、削がれた鼻だけではインパクトが足りないと感じて、すると大量の鼻がタンクの中を回っているイメージが浮かんできて……そうやって次々と連想していきました」
いずれの収録作品も、思いがけない展開の数々に、ページを繰る手が止まらなくなる。
「僕が小説を書くときは、いろいろなパターンを思い浮かべて、そこから一つ一つ選ぶようにして書いています。イメージで喩えるなら、自転車を施錠するために使うダイヤル錠。登場人物の設定から展開の仕方まで全てダイヤルになっていて、それを一つずつ回していって正解が出たらカチッと開く。もっとも、そこまでスッキリいくことはそうないんですけどね」
物語の淵を覗き込むような本書。読みながら、現実世界がおびやかされている感覚すら覚えるほどだ。
小田さんは執筆時に怖くならなかったのだろうか。
「僕自身、怖い話と思って書いてないんです。ただ、こういうのは嫌だな、気持ち悪いなという感じはあって。なので、あえてホラーとは言わず、怪奇という字の通り怪しくて奇妙な話のつもりで書いていました。もちろん娯楽作として手に取って、その感想として、これがどういう作品なのか考えていただけたら嬉しいですね」
おだまさくに/1974年宮城県生まれ。2009年『増大派に告ぐ』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。13年『本にだって雄と雌があります』でTwitter文学賞国内編第1位。21年に9年ぶりの単行本『残月記』を刊行、本屋大賞ノミネート、吉川英治文学新人賞と日本SF大賞をW受賞。