憧れの職場は「地獄」に
期待に胸を膨らませて入った職場でしたが、同僚たちとは嚙み合いませんでした。
私は完璧に仕事がしたくて努力しているのですが、周りは飲み会とかプライベートな話題ばかりに夢中でついて行けませんでした。
CAは花形の職業と言われますが、一部では「色物」のように扱われることもあります。私はこういう人たちが全体の評判を落としているのだと、軽蔑し、仲間に入ることはありませんでした。
いつも時間ギリギリの行動でバタバタしている同僚のひとりは、物覚えが悪く、何度も同じことを私に尋ねるので、「一度で覚えて」と注意したことがありました。
それでも改善が見られず、我慢の限界に達した私は上司に相談したのですが、融通が利かないのは私の方だと逆にお叱りを受けることに……。なんでも、彼女は乗客からの評判がすこぶる良く、私は口調がきつくてクレームが多いと……。
真面目に努力しているより、要領よくヘラヘラしている方が評価される職場なのかと失望しました。客室でも屈辱的なことは日常茶飯事でした。ルールを守らないお客様に注意をすると「黙れブス! 消えろ」などと暴言を吐かれることもしばしば……。
それでも長期休暇で実家に帰ると、母親は「私の自慢の娘を見て」と言わんばかりに親戚を集め、鼻高々と、私に皆の前で仕事の話を披露させるのです。
海外に行けることは本当に楽しかったのですが、職場では孤立し、いい思い出などありませんでした。
「姉貴、本当に大丈夫なの? 飛行機乗るといつも思うんだよ。姉貴にCAは向いてないってさ」
弟は、私の性格を見抜いていました。
「公務員とかの方がよっぽど向いているよ」
弟の言うとおりだと思いました。正直なところ、できるものであれば、すぐにでも転職したかったです。それでも「石の上にも3年」と言われるように、次第に馴染んで状況は好転するだろうと考えていました。これまでは、仕事への期待が高すぎたのです。
ところが、入社後3年目を迎えても、職場では孤立したまま、CAの仕事にやりがいは見出せませんでした。
一度、通勤途中に交通事故に巻き込まれ、足を怪我して1週間の入院を余儀なくされたことがありました。病院で目覚めた時、「これで仕事に行かなくていい」とほっとしたのを覚えています。
この頃から、既に軽い鬱状態が始まっていて、精神科にも通院していました。遅かれ早かれ仕事は続けられなくなると思っていましたが、一番気がかりだったのは母親です。こんな形で退社するなんて、きっとがっかりさせるだろうなと思うと、なかなか踏ん切りがつきませんでした。