1ページ目から読む
4/6ページ目

 それでもその時は、大学院はあくまで試験の切符を得るところで、最終的に司法試験に受かりさえすればキャリアは開けるのだからと進学を決めました。

 集まった学生たちは、意外にも私より学歴が高い人たちばかりで驚きました。負けず嫌いの私は勉強に励み、成績は上位でした。

 院生生活はとても充実していました。学生たちの年齢もバラバラで、いろんなバックグラウンドを持つ人と話ができました。男女の割合では男性の方が多く、なぜか気が楽でした。女性だけのコミュニティは、CA時代でもうこりごりでしたから……。

ADVERTISEMENT

 順調に3年間を過ごし、最初の司法試験の受験日を迎えました。大学院の成績は良かったので自信はあったのですが、時間配分が上手くいかず、不本意な結果となりました。不合格です。

 とてもショックでしたし、30歳で転職という計画が狂い、途方に暮れました。

 大学院の学費は奨学金制度を利用していましたが、予備校の費用や生活費は貯金から出していました。アルバイトなどできる余裕はありませんし、あと1年、持つかどうか……。

田舎でひとり受験勉強

 一緒に勉強をしていた仲間は全員不合格でした。皆、「1回目だからこんなもんでしょ」とまったく落ち込んでいる様子はありませんでした。

 私は彼らの反応を見て、今後は距離を置こうと決めました。なぜなら、私以外の学生は、家が裕福だったり、すでに他の法律資格を持って仕事を始めていたり、たとえ試験に合格しなかったからと言って食い扶持に困るような人たちではなかったからです。

 私から見れば、意識が低いというか、本気度が感じられなくて、一緒に勉強するのが嫌になったんです。それに、大学まで通う時間があるなら家でひとりで勉強したほうが余計なお金も使わないと思い、とりあえず引っ越しをすることにしました。

 テレビや洗濯機などの家電はすべて売りました。料理する時間ももったいないので、台所用品も不要です。洋服も数着あればいい。これまでは東京のどこに行くにも便利な駅の側に住んでいましたが、埼玉の田舎の物件を決め、家賃は半分になりました。

 1年間、机と参考書だけが置いてある部屋で、ひとりで朝から晩まで勉強を続けました。一日中、誰とも話をしない日も多々ありました。

 食べることだけが唯一の楽しみとなり、運動もしないので、それまで着ていた洋服はすべて入らなくなりました。美容院にも行かず、化粧もしない。ほとんどパジャマで過ごし、買い物にもジャージで出かけ、だんだんとそれが習慣になっていきました。

 実家の家族には、合格するまで帰省しないと伝えていました。

 しかし――。迎えた2回目の試験。また、不合格だったのです。私は奈落の底に突き落とされる思いでした。

 家族になかなか結果が伝えられずにいると、母から電話がかかってきました。電話を受けた私の声で、母は不合格だと察したようでした。