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 CAよりも社会的信用のある職種とか、企業に転職できないものか悩んでいました。

 弟に公務員に向いていると言われたことを思い出し、調べていたところ、目に入ったのが法科大学院の募集です。以前、何かの雑誌で、CAから司法試験を受けて検察官になった女性の記事を見たことがありました。

「これだ!」

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 私は雷にでも打たれたような衝撃を受けました。ようやく、心にかかっていた霧が晴れ、希望の光が差し込んできたのです。

「CAは女性が長く続けられる仕事ではないと思ったの。法科大学院の募集が始まって、法曹への道が広がるみたいだから、25歳で退社して、30歳からは検察官としてスタートを切ろうと思うの」

 私は実家に帰省し、家族に検察官への転身を宣言したのです。母の反応が気になっていましたが、

「まあ、凄い! 真理ちゃんは小さい頃から優等生だったから、すぐに受かるわよね」

 母親はあっさりと転職の計画を受け入れてくれました。

「いろいろ挑戦できるのも若いうちだけだから頑張れ」

 父親も賛成してくれました。

「真理ちゃん今度は検察官! かっこいい!」

 母親は、まだ大学院にさえ入学していないにもかかわらず、私が検察官になると親戚中に言いふらしており、恥ずかしい反面、自分の評価が下がっていない反応に胸を撫で下ろしていました。

烙印となった学歴

 私の大学での専攻は英文学で法学部出身者ではないので、法科大学院は未修者の3年コースを選択しました。初めての分野なので、1年間は予備校に通い、4年後に試験を受け30歳で法曹デビューするという計画でした。

 法科大学院の第一志望はもちろん、「東京大学」です。目標は絶対高い方がいいでしょ? 実はCAの同僚に、

「相澤さん、所詮、地方の私大でしょ」

 って、学歴を馬鹿にされたことがあったんです。

 私も本当は、東京の大学に進学したかったんですが、うちは経済的に余裕がないので浪人はできないし、確実な推薦入試で、実家から通える大学を選ぶしかなかったんです。

 東大大学院を出て検察官になり、また注目を集めて、職場の同僚たちを見返してやりたいと意気込んでいました。次の目標が定まったことで、鬱からも抜け出すことができたのです。

 予備校生活は充実していました。時間を自由に使えて、やりたいことに専念できるのですから。

 ところが、入試の結果は散々でした。東大は無理でも、東京六大学のどこかに入れればと思っていたのですが、結局、引っかかったのは、卒業した大学より偏差値の低い大学の大学院でした。

 予備校の仲間たちも、有名な大学の大学院には合格できず、進学を断念する人もいました。都内の有名私立大学を卒業している男性は、

「もし司法試験に合格しなかったら、微妙な学歴だけが残るよな……。学費も高いし、烙印になったらと思うと躊躇する……」

 彼が言った通り、学歴は私にとって烙印になりました。この時点で、止めておけばよかったのです。

 ここが、ターニングポイントだったと思っています。公務員試験に切り替えればよかったと……。