母は重い。でも結局、一番頼りになるのも母。「お母さんみたいな人生を送らないでいいように」と育ったはずの娘たちが、なぜ今、実家に縛られるのか。無理のない付き合い方とは?
「女性と依存症、そしてトラウマ」を連載中の信田さよ子さんが、特集「母と娘って。」に寄せた文章を『週刊文春WOMAN2024創刊5周年記念号』よりご紹介します。
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「いったい母は何を望んでいるのか」混乱する団塊ジュニアたち
2008年に、『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(春秋社)という本を上梓しました。
当時、少子化世代の先鞭だった団塊ジュニア女性たちが30代から40代になり、将来、「墓守」に象徴される実家のケア、なかでも母のケアを担わなければならないのではないかと絶望していました。そのことをキャッチーに表現したのが「墓守娘」という言葉です。
団塊世代の女性たちは、友だち的夫婦関係を築いたニューファミリー世代とされています。しかし実際には、専業主婦にならざるを得ず、仕事一筋の夫を支え孤独な育児に忙殺される日々でした。夫との不平等感や怒りを共に受け止め、ケアを与えてくれる唯一の存在として娘を育てたのです。
こうした娘への期待は、団塊世代が子育て中の80年代に、性別選好(生まれてくる子どもがどちらの性別であることを望むか)が男児から女児に逆転したことなどにも表れています。
母の不幸やグチを毎日聞かされている娘たちは、母を幸せにするために、その期待に応えようと一生懸命いい子として成長します。
母の期待どおりに就職し、働いた。ところが娘たちが30代に入ると今度は、「結婚はまだ?」「孫の顔が見たい」と言い出す。いったい母は何を望んでいるのかと混乱し、母の愛とは何だったのかを初めて疑うことになります。
自分の人生を生きるためには、いつまでも介入をやめない母から距離を取らなければならない、そう考える娘たちが増えていたのです。
娘たちの根深い罪悪感
さて、母娘問題の根幹には、娘たちの深い罪悪感が横たわっています。「母が重い」、このたった四文字を口にすることへの戸惑いは、息子たちには少ないと思います。
そのようなジェンダー差はなぜ生まれるのか。一つは、同性同士であるという点でしょうね。
母と娘は、身体的共通点があります。母は、妊娠や出産、育児などを経験した、娘にとっては超えることのできない人生の先輩なのです。「子どもを産めばわかる」という呪いも掛けられています。距離の近さは息子の比ではありません。