「はあ~。こんなコンビが大阪から出てきたのか……。時代が変わったなあ。とてもじゃないけど、こりゃ敵わないや……。まだ全国的に無名だけど、売れるな」

 コント赤信号の渡辺正行さんにそこまで言わせ、島田紳助さんも「勝てない」と感じた、お笑い界の超新星とは――? 著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

あの島田紳助さんでさえ勝てない…お笑い界の世代交代を加速させた「超天才コンビ」とは?(写真:時事通信)

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『ダウンタウン』の衝撃

 長きにわたって、数多くのテレビ番組を持ち、常に新しい笑いを作り出してきた『ダウンタウン』。

 そんな彼らも、36年前はまだ若手で、俺たちコント赤信号は、その存在を知らなかった。

 1985年の9月26日と27日の2日間、大阪の「扇町ミュージアムスクエア(OMS)」で、「激笑コント 漫才をこえる日!!」というイベントが開催された。

 OMSは1985年3月に開館し、2003年3月に閉館するまで、“大阪の芝居のメッカ”とも言われた小劇場。基本的に、芝居が中心だったものの、ときには、お笑いのイベントやトークショーなども行われていた。

 開館から半年後、その一環として企画されたのが、コント赤信号をメインにしたイベントだった。

 ちょうど全国的な知名度が右肩上がりに高まっていた時期でもあり、

「漫才ではなく、コントのイベントを手掛けてみたい。コント赤信号なんて、どうだろう?」

 と考えたOMSのプロデューサーが、俺たちのマネージャーである石井社長に相談し、実現することになったらしい。

 出演したのは東京組と大阪組の各2組で、東京から来たもう1組は、一発芸やモノマネなどで人気を集めていた『ジャドーズ』。

 そして、「せっかく大阪でやるんだから、いま大阪で面白い若手を呼ぼう」ということで選ばれたのが、ダウンタウンと女性コンビ『非常階段』だった。

 ネタの内容はほとんど忘れてしまったが、イベントの構成は、コント赤信号による新作コント3本。その間に、他の3組がネタを1、2本披露するというもので、それを2日連続で行ったと思う。

 そこで初めてダウンタウンの漫才を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。