――そうでしたか。ちなみに、共演して影響を受けた方の代表格といいますと。
草刈 丹波哲郎さんの影響は、デカかったですね。でも、それは丹波さんのイメージを被ってしまったというか、抜け出せなくなったという意味で。大河ドラマ『真田丸』(2016年・NHK)で、僕は真田昌幸を演じましたが、その31年前にNHKでやった『真田太平記』では昌幸の次男・幸村を演じているんです。で、昌幸を丹波さんがやられて。
丹波さんの存在感ってのは、そりゃあもう凄まじいわけですよ。そんな真田昌幸を目の当たりにしたわけですから。昌幸を演じるといっても、丹波さんの昌幸が降りてきて、なかなか抜けなかったですね。
――印象的な共演者というと、『華麗なる刑事』(1977年・フジテレビ)でコンビを組んだ田中邦衛さんは非常に対照的でしたよね。草刈さんがロス市警で研修した刑事、田中さんが鹿児島県警から転属してきた刑事という。
草刈 コントラストは効いてましたけどね(笑)。でも、僕が邦衛さんに寄っちゃったので『華麗なる刑事』というタイトルに反して、ちっとも華麗じゃなくなっているんです。また、邦衛さんも僕に合わせてくれるんですよ。おかげで、途中から2人揃ってすっかり泥臭い刑事になってしまってね。あれは、プロデューサーの方にどえらい迷惑を掛けました。
――『プロハンター』(1981年・日本テレビ)では、藤竜也さんとコンビを。
草刈 『プロハンター』のときは、藤さんがカチッと超二枚目ですから。逆に僕はコメディっぽくしたほうがいいのかなと考えてやったら、うまくいきましたよね。
コメディへの出演で、役者としての幅が一気に広がった
――「俳優としてのトレーニングを積んでない」ことも、長らくコンプレックスに?
草刈 考える時期もありましたけどね。でも、芝居の経験がなくてもやってらっしゃる方もいらっしゃいますし。深く考えなくてもいいかなと。
結局のところ、好きな俳優さんや大先輩の真似をしているんですよ。そして、それを自分のものにしていってるわけです。たとえば、コメディをやるときは『社長シリーズ』(1956~1970年)の森繁久彌さん、三木のり平さんですよ。ちょっと、強引な言い方ですけども。
おふくろは映画が大好きで、チビの頃によく連れて行かれたんです。それで『社長シリーズ』を観ていたんですよ。当時は俳優になろうなんて考えてなんかいないけど、いまだに覚えているし、抜けないんですよね。しかも、俳優としての血となり肉となっているという。
そこは、映画好きだったおふくろに感謝ですね。時代劇も大好きな人だったから、大川橋蔵さん、市川雷蔵さん、中村錦之助さん(初代)の映画もよく観ました。