「僕らは、生の寺山修司を体感できた最後の世代。そして僕は、寺山さんから直に指導を受けた最後の俳優です。だから、自分の身体や肉声を通して、今の人たちに寺山さんの“言葉”を届けることを、使命だと感じているんです」
歌人で劇作家、映画監督に劇団主宰まで、幅広い芸術ジャンルで活躍したマルチクリエイター・寺山修司。その没後40年を記念した舞台『三上博史 歌劇』の幕がまもなく上がる。主演はもちろん、俳優で歌手の三上博史さんだ。
三上さんが寺山氏と出会ったのは15歳の時。氏が脚本と監督を務めたフランス映画『草迷宮』の主演に抜擢され、鮮烈な俳優デビューを飾った。5年後に寺山氏は亡くなり、三上さんは活躍の場をテレビへと移していくが、三上さんにとって氏は常に、「俳優としてあらゆる部分に影響を受けた特別な存在」であり続けた。2008年からは、青森県三沢市にある寺山修司記念館で、毎年命日の追悼ライブも欠かさず行ってきた。本公演も当初、その拡大版として企画されていたという。
「ぜひここでと声をかけてくださったのが、寺山さんの劇団『天井桟敷』の最終公演の会場だった東京・新宿の紀伊國屋ホールさん。そんな思い出深い場所での公演ということもあって、演出のJ・A・シーザーさん始め、実に豪華な、寺山さんの盟友たちがこのために再集結してくれました」
その内容は――。まず、語られるべき明確なストーリーはない。三上さんが、寺山氏が遺した詩やエッセイを朗読し、氏の作詞による名曲の数々を歌いあげ、伝説的な劇の断片を上演する。軸となるのは、膨大なテキストから抽出された寺山氏の“言葉”だ。
「とても刺激的な舞台になると確信しています。たとえ脈絡がなくても、寺山さんの言葉は力を失ったりしませんから。むしろ、ドラマツルギーから離れたところで、もっと感覚的に受け取ってほしい。活字で読むのではなく、生身の人間から発せられる音として寺山さんの言葉をシャワーのように全身で浴びてほしい。そうしてこその気付きが、きっとあると思うんです」
と、熱弁をふるう三上さん。では、三上さんが考える、寺山修司の言葉の魅力とは?
「えげつなさですかね(笑)。万人を拒絶したようにふるまっておいて、実は、誰一人漏らすことがないように広く投網をかけている。特に、世の中から見捨てられたような弱者にこそ優しい。下世話なのに品性があって知的、混沌としているのに美しく、ノイズのようでいて澄んでいる。本当に唯一無二でかなわないです」
例えば、本公演のサブタイトル「―私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない―」。これは、寺山氏の自伝的映画『田園に死す』の主人公のセリフに由来すると同時に、三上さん自身を表す言葉であるという。
「結局、お釈迦様の手のひらの上なのかも、と……。ただ、僕自身がやりたいことも、遠慮なくしっかりやりますよ。どうぞ、お楽しみに!」
みかみひろし/東京都生まれ。高校在学中、オーディションで寺山修司に見出され、映画『草迷宮』(79)に主演して俳優デビュー。その後、映画『私をスキーに連れてって』(87)で脚光を浴び、数々のテレビドラマに出演、トレンディ俳優として人気を博す。舞台では、寺山修司没後20年記念公演『青ひげ公の城』(03)などで主演。歌手としても活動している。
INFORMATION
寺山修司没後40年記念公演『三上博史 歌劇』
1月9日(火)~14日(日)、東京・紀伊國屋ホールにて
https://www.mikami-kageki.com/