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横須賀が海軍都市であるということは、まさに玄関口である横須賀駅を降りてものの5分で実感することができるというわけだ。そういう意味では、横須賀駅が商業施設に囲まれた賑やかなターミナルでないというのは、あくまでも海軍都市の玄関口という意思表示なのかもしれない。
まずは船が並ぶ海沿いを歩く
勇ましい船が並ぶ横須賀湾の海沿いは、ヴェルニー公園という公園になっている。その名前は横須賀の基礎を築いたフランス人技師・ヴェルニーから頂いたものだ。
江戸時代最末期の1866年、ヴェルニーや幕臣の小栗上野介らによって、横須賀に横須賀製鉄所が設けられた。東京湾の入り口にあたり、それでいてふたつの小さな半島に囲まれた横須賀湾は、江戸の守りを固める上で最適の地と判断されたのだろう。
製鉄所は明治政府に引き継がれ、横須賀造船所に改称。1884年には横須賀鎮守府が置かれて海軍の拠点となり、1903年に造船所は海軍工廠に。他にも海軍関連の施設集約が進み、民間の造船会社も進出。明治半ばには横須賀は日本最大の軍港都市になったのである。
戦争の時代に設計された「人にやさしい駅」
横須賀駅が開業したのも、こうした軍港都市・横須賀の成立の一環といっていい。三浦半島の先端にあって、周囲を山に囲まれた横須賀は、要塞としての機能は充分でも、人や物資の輸送には難があった。そこで、軍部の要請に従って鉄道建設が決定。1889年に現在の横須賀線が開通し、横須賀駅もそのときに開業している。