横須賀の市街地は山また山のスキを縫うようにして形成された。それだけでは足りず、いまの横須賀中央駅東側、国道16号あたりはもう埋立地。つまり、海を埋めて市街地を拡大させたのだ。
山の上は山の上で、こちらも切り開いて住宅地になった。関東大震災以後、あちこちに点在していた海軍施設を集約する一方で、立ち退きを求められた民家が山の上に移転したなどということもあったようだ。
だから、横須賀中央駅や横須賀駅の裏側の山の上には住宅がひしめく。海沿い低地の繁華街や軍港、そして山の上の住宅地。極めておおざっぱにいえば、それが横須賀の町の成り立ちなのだ。
東京都心から約1時間半の「ベッドタウンじゃない町」
横須賀という町は、戦前の軍港都市という性質がいまもほとんどそのままに受け継がれている。米軍が海軍施設の大半をそのまま流用しているのだからとうぜんなのだが、東京の都心部から1時間半ほどの場所にありながら、ベッドタウン感に飲み込まれず、ここまで軍港都市として独立性を保っているのは奇跡的といっていい。
それは、戦前の海軍時代、そして戦後の米軍時代と続く軍港の存在感があまりに大きかったから。スカジャンやら海軍カレーやら、独自の文化が育まれたのも、そうした歴史が背景にある。
そして、三浦半島の地理的な条件も関係していそうだ。すっかり四方を海と山に囲まれた横須賀は、他の都市と比べて東京・横浜方面から地続きのベッドタウンにはなりにくかったのではないかと思う。
いずれにしても、横須賀は軍港都市の匂いをベースにおいて、他の首都圏の都市とはひと味違う独立性の高い都市といっていい。そして、そんな町の中で写真を撮りながら歩いていても怒られない。きっと、戦前だったら牢屋に放り込まれていたに違いない。平和な時代というのは、やはりいいものである。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。