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「5階の角の浴室でテロに使う時限爆弾を製造し…」台湾人革命家が立ち上げた池袋駅前の老舗“街中華”の衝撃の裏側

1月13日は台湾総統選挙

2024/01/12
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 2023年12月9日、東京・池袋駅前にたたずむ老舗の“街中華”『新珍味』に、面積わずか9坪の、恐らく東京でいちばん小さなミュージアム「東京新珍味史明記念館」がオープンした。吹けば飛ぶようなスペースだが、開館記念セレモニーには台湾の国家元首・蔡英文総統と、次期総統選での当選が確実視されている頼清徳副総統がビデオメッセージを寄せ、謝長廷駐日代表(事実上の台湾大使)が祝辞を述べるなど、台湾政府の重鎮がこぞって「東京新珍味史明記念館」の誕生を寿いだ。

 なぜなら『新珍味』は、台湾の民主化や台湾現代史で大きな役割を果たした、台湾人の「聖地」だからだ。

5階の角の浴室で爆弾が作られた ©田中淳

台湾独立のゴッドファーザー

 1954年創業の中華料理店『新珍味』がどうして、台湾人の「聖地」なのか。

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 この店を立ち上げたのが台湾人革命家の史明(しめい、1918~2019年)で、彼が40年間にわたって台湾独立をめざす地下工作活動のアジトとしてきたからにほかならない。人生のすべてを台湾独立運動に捧げた史明の存在は、2014年の民主化運動「ヒマワリ学生運動」や2016年の女性総統誕生などに大きな影響を与え、若年層にも「生ける伝説」として再認識されるようになる。

 史明は2019年9月、100歳で鬼籍に入ったが、今も「台湾独立運動のゴッドファーザー」として強烈な存在感を放っており、台湾人留学生や東京を旅行する多くの台湾人が『新珍味』へ“巡礼”に訪れる。「東京新珍味史明記念館」のオープン当日も、台湾から50人以上の市民が駆け付けた。

スパイ、暗殺、亡命、密航したことも…

 革命家・史明は1918年、日本統治時代の台湾・台北に生まれた。

 早稲田大学政治経済学部に留学中、マルクス主義に覚醒したことで「植民地支配からの台湾の解放」を希求するように。1942年、卒業と同時に中国大陸へ渡り、日本軍の情報収集などを担う中国共産党のスパイとして暗躍する。やがて鄧小平に引き立てられ、創設期の中国人民解放軍で幹部への道を歩むが、共産党の実態に絶望して台湾へ逃亡。

 折しも台湾では毛沢東との覇権争いに敗れた蒋介石と中国国民党が圧政を敷き、白色テロが吹き荒れていたため、蒋介石の暗殺を企てるが失敗。指名手配されたため1952年に日本に亡命し、1993年の本帰国まで、『新珍味』を拠点に台湾独立運動を主導した。時には尖閣諸島経由で祖国台湾に密航したことも──。

台北の名門に生まれた史明と両親。本名は施朝暉(シー・ディアウフイ) ©独立台湾会/史明教育基金会

『新珍味』はその史明が自活しつつ、台湾独立運動の資金を蓄えるために開いた。日中は自ら厨房に立ち、夜は台湾独立を実現させるための勉強会を開いて、1000人を超える台湾人同志を地下工作員として養成した。なかでも特筆すべきは、『台湾人四百年史』の執筆と、「時限爆弾の自作」だろう。