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32年ぶりについた上総亀山駅前に、かつての路線バスの姿は…
定刻より1分早い8時32分、終点の上総亀山に着いた。32年ぶりの再訪だが、駅が無人化されただけで、人影が少ない駅周辺の雰囲気などはあまり変わっていなかった。かつては駅前に安房鴨川までの路線バスが発着していたが、すでに廃止されて久しい。
32年前の駅舎には「久留里線を守る会」による列車利用促進の看板が掲げられ、定期券や乗車券は往復とも久留里線内の駅で購入するように、といった案内文が細かく記されていた。
だが、当時よりも廃線の危機が高まっている今は、駅舎近くに置かれていたベンチに「久留里線輸送力を促進する会」の名が入り、同名ののぼりが立てられているだけで、駅構内にその種のスローガンは見られない。
2両のディーゼルカーがやっと停車できる小さなホームの少し先で、線路は途切れている。その先に延伸工事が進んだ痕跡は見られない。それどころか、この上総亀山までの線路の存続すら、おぼつかなくなっている。
もともとは「房総半島を横断する路線」になるはずだったが…
列車の運行はここまでだが、もともと久留里線は、房総半島を横断して外房の大原までを結ぶ路線となる予定だった。
外房側でも昭和初期に大原から上総中野までの路線が開業し、木更津の「木」と大原の「原」から1字ずつとって木原線と称した。だが結局、久留里線と木原線がドッキングすることはなく、国鉄による房総半島横断鉄道の計画はついえた。
その木原線は国鉄末期に、赤字ローカル線として廃止対象に指定される。昭和63(1988)年に第3セクターのいすみ鉄道として再スタートを切るも、赤字の経営状況に変わりはなく、平成20(2008)年頃には廃線もささやかれていた。