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100円稼ぐための経費が1万6800円…東京から1時間のローカル線「久留里線」32年間の“変化”

2024/01/19

genre : ライフ, 歴史, , 社会

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32年ぶりについた上総亀山駅前に、かつての路線バスの姿は…

 定刻より1分早い8時32分、終点の上総亀山に着いた。32年ぶりの再訪だが、駅が無人化されただけで、人影が少ない駅周辺の雰囲気などはあまり変わっていなかった。かつては駅前に安房鴨川までの路線バスが発着していたが、すでに廃止されて久しい。

上総亀山駅に到着
ホームから無人の駅舎への渡り道(上総亀山)
上とほぼ同じ位置から撮影(平成3年)。改札前の植え込みに駅の標高や近隣の宿泊施設を示す案内板が立ち、待合室内には観光パンフレットなどが設置されていた

 32年前の駅舎には「久留里線を守る会」による列車利用促進の看板が掲げられ、定期券や乗車券は往復とも久留里線内の駅で購入するように、といった案内文が細かく記されていた。

 だが、当時よりも廃線の危機が高まっている今は、駅舎近くに置かれていたベンチに「久留里線輸送力を促進する会」の名が入り、同名ののぼりが立てられているだけで、駅構内にその種のスローガンは見られない。

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上総亀山駅舎。昭和11年の開業時に建てられた
上とほぼ同じ位置から撮影(平成3年)。「久留里線を守る会」による列車利用促進の看板が立っている
上総亀山駅付近にあったベンチ。輸送力の促進に寄与しているだろうか

 2両のディーゼルカーがやっと停車できる小さなホームの少し先で、線路は途切れている。その先に延伸工事が進んだ痕跡は見られない。それどころか、この上総亀山までの線路の存続すら、おぼつかなくなっている。

出発を待つ木更津行きディーゼルカー(上総亀山)
上とほぼ同じ位置から撮影(平成3年)。手前の線路とホームは使用できなくなっている

もともとは「房総半島を横断する路線」になるはずだったが…

 列車の運行はここまでだが、もともと久留里線は、房総半島を横断して外房の大原までを結ぶ路線となる予定だった。

 外房側でも昭和初期に大原から上総中野までの路線が開業し、木更津の「木」と大原の「原」から1字ずつとって木原線と称した。だが結局、久留里線と木原線がドッキングすることはなく、国鉄による房総半島横断鉄道の計画はついえた。

国鉄木原線時代に設置されていた大多喜駅のスタンプ(昭和58年に著者押印)

 その木原線は国鉄末期に、赤字ローカル線として廃止対象に指定される。昭和63(1988)年に第3セクターのいすみ鉄道として再スタートを切るも、赤字の経営状況に変わりはなく、平成20(2008)年頃には廃線もささやかれていた。